dearmistake

top  blog  link 



「おやおやぁー?」



掃除当番として残っていた放課後の教室。
床をホウキで掃いていると、
同じく当番で教室に残っていた男子生徒――巳古圭(みこ けい)が、ふざけ気味の声を上げた。

とりあえずホウキを手にしてはいるものの、
その役目が正しく果たされる気配はない。
彼はつったて棒のようにした柄に、手と顎とを乗せて、にやにやと窓の外を眺めている。


自分とは真逆のタイプだと言い切れる巳古と、俺は不思議とウマが合う。
とはいえあまりにタイプが違いすぎて、親友という言葉はしっくりとこない。

なにしろ彼は校内でも有名な遊び人であり、
その外見と愛想の良さとで、来るもの拒まず去る者追わずの人物なのだ。

長身に恵まれた体躯のお陰で、入学当初は部活の勧誘もあったらしい。
けれど「俺には気力と根性がないから」と、その全てを断ったという。


今まで一度だって図書室に入った事はないと言い張り、
読む本はエロ本だけだと豪語してはいるけれど、根は悪いやつではない。

よく見ていれば、巳古は人との間に絶妙な距離を空ける。
言い替えれば、他人との間に一線を引くけれど、
周りからは決して浮かない器用なタイプだ。



「巳古、いいから掃除しろ。部活に遅れる」
「神木」
「なんだ?」
「お前の将来の嫁が浮気をしそうだ」
「は?」



すでにクラス中の人間が知っているらしい俺と沙紀との関係に、
とやかく口を挟もうとする奴はコイツくらいしかいない。

また何を言い出したのかと呆れながら、
顎の先で指された方向に俺は視線を動かした。


二階のこの教室から見下ろす、中庭の木陰。
そこに、見慣れない男と向き合う沙紀の姿を見つけた。


沙紀は帰宅部で、最近の放課後のすごし方は二つほどしかない。
すぐに家に帰ってしまうか。
もしくは図書室で時間を潰し、部活が終わった俺と一緒に帰宅するか。
そのどちらかだ。

今日は続きが気になる本が家にあるらしく、
「先に帰るね」と告げられていた。



「沙紀? まだいたのか。帰ったと思ってたけど」
「うーん。あいつは確か、元々カノの元カレの友達だ。同学年だな」



生徒の憩いの場という意図でもあるのかこの学校の中庭は
レンガで舗装された小道や芝生、ところどころに植栽された木立と、
どこかの避暑地かといわんばかりの風情だ。

放課後の緩んだ空気の中、大して広くもない中庭には沙紀と、
巳古いわく要するに赤の他人の同学年の男の姿しか見当たらない。


遠目に見える沙紀はいささか緊張でもしているかのように
体の前で手をもじつかせ、しきりに指先で髪を触っている。
そしてその向かいでは男が、同じく緊張したような少し硬い、
けれども優しげな笑顔を浮かべて沙紀に話かけていた。



「何やってんだ?」
「お前……さては現実を認めたくないんだな?」



そう言って巳古はうんうんと大袈裟に頷きながら何か憐れむような眼差しまで送ってくる。
放っておけばポンポンと肩でも叩かれそうな雰囲気に俺は自らの質問に自分で答えた。



「……告白か?あれは」
「まあそうだろ、見たままならな」
「……今時いるんだなああいうヤツ」
「ん、まあ、確かに……」



同学年だとしたら友達伝いに携帯だのアドレスだの調べることもできるだろうに、
なんとも律儀なやつだとどこか他人事のように感心してしまう。

だがそれは瞬間的なもので、眼下に見える沙紀のはにかむような笑顔が目に入った時にはもう、
自分でも驚くほどに異なる感情へと変化してしまっていた。



「くだらない」



そう言うと俺は窓辺から離れ、手にしていたホウキで再び床を掃き始めた。
背後では巳古が、そんな俺をまるでヒナの成長を見守る親鳥のような目をして見ているのがわかる。

最近はいつもこのパターンだ。

巳古は俺と沙紀との仲を壊す気は毛頭なく、むしろ上手くいって欲しいと願っているようだったが
そのやり方に若干の問題がなくもない。

そもそもクラス中に俺達の関係が知れ渡ったのも、
二人の空気を敏感に察知した巳古が休憩時間、
通常よりも気持ち大きめの声で「神木、間宮と付き合ってんの?」と尋ねてきたからだ。

本人が言うには「あれは周りへの牽制」らしいが、
なんのための防衛線で巳古がどうして俺達に構うのかは正直よく分からない。

だがその後も、まるで定期的に俺達がうまくいっているかをチェックするように
からかい半分でこの手の話題をふってくる。



「おぉ、余裕だなぁオイ。いいのか見なくて」
「いい」
「あーあー、間宮のやつ、あーゆー笑顔はその場では厳禁だろが」
「趣味悪いな、お前」
「お、一応断ったみたいだな。よかったな神木。お前の平和は保たれたぜ」



根は悪いやつではないと思っていたその評価を変えてしまおうかと内心で顔をしかめながら、
俺は床を汚す塵を集める。

すると見世物は終わったとばかりに教室へと視線を戻した巳古が
少しトーンを落とした声でぼそりと呟いた。



「けどアレだな。間宮も変わってっけど黙ってりゃレベル高いし、気を付けねーとやべぇな」



ちり、と神経が逆撫でされているような感覚に俺はおそらく眉根を寄せていたと思う。
それは今見た光景のせいなのか、それとも巳古のいうところのやばい状況を想像してのものなのか、
どちらにせよ俺はもうこの話題を終わらせる意味も込めて返事を返さず掃除を続けた。



「知ってるか?」
「……何を」



するとそんな俺の雰囲気を感じ取ったのか、巳古がどこかふざけ気味の声で尋ねてきた。
見た限りでは明るく誰にでも好かれそうなその微笑みに、
もういいから掃除をしてくれという言葉を飲み込み俺は会話を受け取る。



「実は俺も間宮のこと、狙ってたって」
「冗談だろ」



これまでに巳古の付き合ってきた女子を数名知ってはいるが、
どれも沙紀とは正反対のどちらかと言えば派手目なタイプだ。
そしてそれを知らなかったとしても、コイツがこういう表情をするのは会話を仕切り直し、
相手の感情をなだめようと気を遣っている時だという事はこれまでの付き合いで気付いている。



「あ、分かった? まぁそれは冗談だけどな、狙ってたヤツがいるのは事実。
 現にホレ。うかうかしてたら取られちゃうよー?」
「ああ、気をつける」



パッと華のある笑顔でそう切り返した巳古の表情の中にかすかな安堵の色を見つけ、
俺は巳古に対する"根は悪くない奴"に"実は他人の感情に敏感"という印象を付け加えた。


すると、それまで同じく掃除当番として教室で黙々と掃除に勤しんでいた室瀬が、
我慢の糸が切れたといわんばかりの歩調でつかつかと俺達二人に近づいてきた。


そして呆れ半分、怒り半分の表情を浮かべ、ばしっと巳古の肩を叩いて言った。



「もう! 神木くん怒ってるでしょ!? てか掃除早くしちゃってよ」



しっかりした、同い年なのにどこか年上の姉のように面倒見の良いこの室瀬真知(むろせ まち)は、
恐らく俺にとっての巳古のように、沙紀にとってもクラスの中で多く会話を交わす人物だ。

その理由はクラス替え当初、出席番号順に配置された席で
間宮、巳古、室瀬と三人順に教室の窓際に座っていたからだろう。


授業や掃除など事あるごとに分けられる班で三人はいつもだいたい一緒だったのだから
仲が良くなるのも頷ける。
だがこの室瀬と巳古の関係はいささか仲が良いを越えて、男友達か兄弟かといいたくなる程だった。



「盗み聞きか? 趣味わりぃな」
「あんたでしょ、それは。いいから掃除! 手を動かしなさいよ手を」
「……姑か」
「なにぃ!?」
「グッ……!! お前、みぞおちはやめろ!」
「うっさい! 掃除!」



一見、大人しそうに見える室瀬だったが、意外と勝気なのはこの光景を見ているとよくわかる。
とはいえ、こんな荒れ方をするのは巳古と相手をしている時だけのようだが。

姑と言われた瞬間、室瀬は肩より長く伸ばされた髪をたなびかせ、
よく見ると中指の関節を少し突き出し凶暴さを増した拳を躊躇なく巳古のみぞおちに直撃させた。



「はー、まったく。お前の将来が心配だよ、俺は」
「あんたでしょそれは。まったく」



クリーンヒットをくらった腹をさすりながら巳古は眉をひそめぶちぶちと文句を続けつつも、
しぶしぶホウキを持った手を動かし始める。



「神木君、こいつが何言っても気にする事ないよ」
「こいつっていうな。てかホウキで人を指すな」
「沙紀、神木君のことすごく信頼してる感じだし。ノロケ方は時々妙だけど、
 神木君のことしか頭にないーって感じだよ。心配とか全然いらないと私は思う」
「大丈夫、気にしてない。ありがとう室瀬」



そう、気にしていない、はずだ。
それとも気にしている風に見えるのだろうかと俺は自分を鏡で見たい気持ちになる。
つい、と動かした視線の先の中庭にはもう、一人も生徒の姿はなくなっていた。

先程感じた、心の中に澱が溜まるような感覚がまた起こる気がして、
俺は視線を教室の中へと戻す。



「なんだ妙なノロケって」
「んー、この間は、レセプターがどうのこうのって」
「レ?」
「まあ、すっごく嬉しそうな顔してるからいいんだけど」
「まあそうだな。お前にも来るといいな、そんな春が……」
「んー? 喧嘩うってんの……?」
「まさか。単なる事実だ」
「ほー……」



室瀬が、ホウキの柄をぎゅっと握りしめたのに気がつき、
俺はこの二人の会話がまた喧嘩の方向に流れると予測して早々にその場を立ち去る事を決めた。
そもそもがもう、部活に遅れそうな時間になってしまっている。

集めた塵をチリトリに掃きいれ片づけを済ませると、
未だ何やら言い争いをしている巳古と室瀬に声をかけた。



「俺は部活行くから。じゃあな」
「ああ、また明日」
「ばいばーい」
「……なんだその笑顔。すげー豹変っぷりだな」
「あんたはいっつも怒らせるからでしょ?」
「そっちが勝手に怒ってるんだろ」



そう言い合いを続ける二人の声を小さく背中で聞きながら、俺は教室を後にした。

体育館への廊下を歩きながら、
ズボンのポケットに突っ込んだ手で何度も携帯の側面をなぞる。



沙紀はもう学校を出たのだろうか。
それともまだ校内にいるのだろうか。
断ったと巳古は言っていたが、あの男とまだ話をしているのだろうか。



――くだらない。



そう思う。

気にする必要もない。
気にするな。

それなのに、そう思おうとすればするほどに気にしているのだという自覚が
自分を追い込んでいくようだった。



――沙紀は今、何を考えている?



すると、その不安にも似た疑問に応えるように、指先で撫でていた携帯が震えた。

ポケットから取り出し画面を開く。






届いたメールは、沙紀からのものだった。



『読みたい本を思い出したから図書室に行きます。
 だから今日、やっぱり一緒に帰ってもいい?』



と。



その、普段通り過ぎる沙紀の言葉に俺は何故か、
ぶわりと心の中で苛立ちが膨れるのを感じた。







「お疲れ」
「おー、また明日なー」



部活のメンバーが次々に着替えを済ませ、部室を後にする。
俺はその背中を見送りながら、竹刀の片付けや防具の整備をしていた。


それは今やらなければならない事ではなく、
ざわざわと落ち着きを失った気持ちをなだめようと体を動かしているに他ならない。


今日の部活は散々な内容で、俺は心技体の重要性を痛感した。
心ここに在らず、正にそういう状態に人は陥ることがあるのだと
自分の至らなさにいささか落胆したほどだ。


気にする必要はない。
沙紀を信用していないのか。
器の小さな男だ。


そう、呪文のように心の中で冷静さを取り戻そうとすればするほどに、
中庭のあの光景、あの沙紀の笑顔がその努力を打ち消す。

そして自分が何故、こんなにも苛立ちを感じているのかが俺には分からなかった。


沙紀にはすでに、



『今日は図書室が閉まるより遅くなるから、沙紀は帰った方がいい』



とだけメールを返している。

それは、自分のこの不可解な心境で、その原因にもなった沙紀に会うのは
避けた方が良いと思ったからだ。


先に帰れと促したメールに対する沙紀からの返信はないが、
図書室が閉まるのは五時半。今はもう六時半を過ぎている。恐らくは先に帰ったのだろう。


春の柔らかな匂いに、日が落ちるのも随分と遅くはなったが、
それでももう窓の外は暗い。

体育館の脇に建てられたプレハブの小屋が連なる部室棟は
小さな窓しかない上に断熱に乏しく、冬は寒く夏は苛烈な暑さになる。
蛍光灯の心もとない灯りにかろうじて照らされた室内には既に、
じわりと夜の冷気が湧いてきているようだった。



「お先! 神木ももう帰ったら? あ、けど施錠頼むな」
「ああ、そうだな。お疲れ」



未だ着替えもせずのろのろと竹刀の手入れをし、防具の汚れを落とそうとしていた俺に
身支度を整えていた同級生の最後の一人が声をかけ、そしてバタンとドアを閉め出て行った。


すでに先輩はみな引退し、部室の施錠も俺達が受け持っている。

ばたばたと駆け足で遠ざかっていく同級生の足音を聞きながら
俺はロッカーに収めていた鞄から携帯電話を取り出すと画面を見た。



――メールはない、か。



無機質な画面が年月日と時刻だけを単調に俺に知らせてくれる。
もうじき七時になる。


帰るか、そう口の中で呟き携帯を仕舞ったとき、
かちゃりと、どこか遠慮気味に部室のドアが開いた。



「あ……、いた」
「……沙紀?」



振り向くと、半分だけ開けたドアの隙間から帰ったと思っていた沙紀が顔を覗かせていた。



「みんな帰っていくの見えたから来ちゃった。お疲れさま」
「帰ったんじゃなかったのか?」
「ん、待ってみた。本もたくさん読めたし、どんどん明るく見えてく金星がすごく綺麗だったよ」



俺は驚きの表情を隠せずに沙紀に尋ねる。
しかも沙紀の言葉通りだとすると、外で待っていた事になる。
宵の明星は南向きの教室の窓からは見えないのだから。

すると、沙紀の開けたドアの隙間から、ひゅう、と、
夜気を含んだ冷たい風が吹きこんできた。

よく見ると少し沙紀の鼻の頭が赤い。



「入れよ。冷えただろ。中も大して変わらないけど」
「うん、お邪魔します」
「……どうせなら……教室で待ってればよかったのに」



そう言いながら俺は、上半身に纏っていた道着を脱ぎ始めた。
ぱ、と、自然な仕草で沙紀がこちらから目を逸らしたのがロッカーの扉についた
小さな鏡越しに見える。



「ん、教室は怖いから。普段沢山人がいる所に、誰もいないのって怖い」
「気配だけ残ってる感じで?」
「うんうん、そう。匂いも気配もあるのに、いないの」



会話は、出来ている。
そう、思った。
だがどうしても沙紀の顔を見ることが出来ない。

普段通りの沙紀。
普段通り過ぎる。



――あの男は誰だった? あの男と何を話した? 沙紀は、何を思った?



「外はむしろ生きた人間がいて、余計に危ないんじゃないか?」



Tシャツを身につけシャツを羽織り、袴を脱ぎ制服のズボンに足を通す。
鏡越しに見える沙紀はふわふわと揺れる猫毛の後ろ頭をまだこちらに向けている。



「一応、職員室のところの花壇に座ってたよ」
「……気をつけろよ」
「え?」



そう、トーンを落とした声で言った俺の言葉に沙紀はこちらを振り向いた。



「学校の中だって、どんな奴がいるかなんてわかんないだろ」
「そっかな? 大丈夫だよ」



そう言ってはにかんだ笑顔を鏡の中に見たとき、俺ははっきりとした苛立ちに
思わず力のこもってしまった手でバンッ、とロッカーの扉を閉めた。



「っ! びっくりした……!」
「……学校の中なら安全だと、思ってるのか?」
「え……?」



もしかしたら今日、つい数時間前、
沙紀は俺の知らない男に告白をされていたかもしれない。
それでも普段通りに俺と笑顔を浮かべて会話ができるものなのだろうか。

"大丈夫"と沙紀は言ったが、もしその男が危険な人物で、
もしもその気になってしまったとしたら、
それこそこの無力な沙紀は容易く襲われてしまうのではないか。

警戒心のない、あどけなさの残る沙紀。



――愛おしい。そして時に、ひどく汚したくなる。



「それは間違いだろ……」
「えっ? えっ?」



くっ、と喉の奥で小さく笑いが漏れた。

さして広くもない部室の中、数歩距離を縮めると、
沙紀は戸惑いがちな表情で俺の顔を見上げる。



「ほんとに……無防備だな、沙紀は」
「きゃっ!」



そして沙紀の肩を背後のロッカーへと押し付けると、
バァン、と金属の揺れる音が部室内に響いた。

加減した力だったのに、それでもよろめき、沙紀は一瞬にして俺の腕と、
ロッカーとに挟まれ捕まってしまう。



「こんなに無防備だったら……安全な場所なんて沙紀にはないんじゃないか?」
「っど、したの……?」
「力も弱いし」
「え、えっ? や、神木くっ!」



俺の体を押し返そうと肩に置かれた沙紀の手を握ると、
そのまま力ずくで沙紀の頭上へと持ち上げる。

精一杯の抵抗をしているらしいわずかな力を無視し、
俺は手にしていた制服のネクタイをその手首に巻きつけた。



「それに……こうされるのが、好きだしな……」
「っ!」



両手首を結びその手の自由を奪い去る。
そして手首の交差した部分を押さえつけると、沙紀は俺の片手一つで
簡単に囚われの身になってしまった。

膝を沙紀の脚の間に割り込ませ体を密着させると、
沙紀は怯えた表情を浮かべながらも、さっと頬を紅くした。



「これでも学校の中……安全か?」
「ど、したの? 神木くん、なんか、変だよ……? 私、何か怒らせるような事、言った?」
「…………」



やめろ、と、頭の中で制止する声がする。
だがその理性の声はもう、虫の羽音ほどに小さなものだった。



「……放課後、何してた?」
「え?」
「男と内緒話?」
「っあ、えっ? ……えっと……」



そして気がついた時には普段ならば絶対に口に出さないであろう言葉が
出口を求めするりと口から零れ出していた。
止せばいいのに追い討ちをかけるように嫌味なセリフを続け、
そんな自分への嫌悪と、戸惑いの色を滲ませた沙紀への理不尽な苛立ちが俺を益々追い込む。


そして腿に感じる沙紀の脚のぬくもりがひどく現実感を損なわせ、昏い劣情を湧きあがらせた。


これは完全に間違っている。
この行為の先にあるのはただの後悔だと分かっている。
それなのに理性は欠片も作用せず、俺はその欲に負け沙紀の手首を強く握りしめた。



「っい、たっ」
「……お仕置きが、必要みたいだな」



もしかしたら俺の腹の底は黒く腐っているのかもしれない。
もしかしたら、今、俺は醜く笑っていたかもしれない。
そう思ってしまうほどに、口を開いて出てきた言葉は沙紀への純粋な想いとは程遠いものだった。

俺の声から感情を読み取ったのであろう沙紀が、
怯えるような、悲しむような、期待するような、
そのどれとも違うような複雑な表情でふるふると首を振る。



「中庭、見てたの?」
「見られちゃまずかったか?」
「あぅっ!」



ぎりりと指を手首に食い込ませ、そしてそのまま更に高くその腕を持ち上げると
沙紀の口からは苦しげな息が漏れだした。

だがその眉間に皺を寄せた表情は、快感に喘ぐそれと酷似しているように錯覚させ、
心の内にあるタガをかたんと外す。

罪悪感に塗れた良心が悲鳴を上げていることには気づかないふりをし、
そして沙紀の目を真っ直ぐに見る事も出来ぬまま、俺は白く筋の浮かぶ首根に唇を寄せた。



「っ……、神木、く……っ!」



ドクドクと脈打つ首筋に吸いつき、舌で味わう。

甘い花のようなシャンプーの香りに混じる沙紀の肌と汗の匂いが頭の中で響く警鐘をかき消し、
ただ闇雲にこの子が欲しいと願うように掌を制服の裾へと潜り込ませた。



「や、だめ、ここ……部室、だし……人が来ちゃうかも……っ」
「来ない」
「でも、……ふぁ、っ、でも」
「……図書室でするのは良くて、部室はダメだって?」
「っ……」
「何が違う? それとも、今日はダメって事か」
「ぁ!」



スカートから引き抜いたブラウスの裾の下に隠れる沙紀の素肌に掌を這わせる。
熱を持ったように熱く感じるその滑らかな脇腹を撫でると、沙紀は押し殺した声を上げた。

逃れようともがくその体が、俺とロッカーとの間で妖しくうねる。



「他の男の事を考えかねないって?」
「ちがっ、神木くんっ……、待って、っあ!」



脇腹のくびれ、臍、肋骨の感触、そしてふわりと指が埋まる乳房。
決して大きいとは言えないそこの麓、ブラジャーのワイヤーを押し上げて指を差し込む。

くに、と未だ柔らかく潰れる乳首を指先で軽く転がすと、
くくっ、と徐々に硬い感触へと変化していった。



「あっ……! っ、ん、神木くん、っふっ、待って、お願いっ」



沙紀がそう懇願しつつも抑えきれない声を漏らす。
そしてそうさせているのが他ならぬ自分のせいだという事がたまらなく背筋を震わせ、
集まった血流がズボンを押し上げる。


柔らかな沙紀の太ももにそれを押しつけながら首筋を舐めると、
びくんっと沙紀の体が震えた。



「っ! ン……!」



腿に食い込む硬さを感じたらしい。
沙紀はますます頬を紅く染め、こくりと喉を鳴らした。

俺はそんな沙紀の反応に口の端を持ち上げ、視線を下へと向ける。

そこでは俺の拘束から逃れようとしたせいで、
沙紀のスカートが大きくめくれあがり、そのほの白く光るような太ももが露わになっていた。


俺は片手で沙紀の手首を固定したまま、その光に誘惑されるように指先で太腿をつぅっとなぞった。



「やっ……! あッ……か、みきくっ……っは」
「……そんな甘ったるい声出して……何がダメなんだか」
「あっ!」



そしてその指を上へ上へと進めショーツと内股との境目を確かめると、
ショーツをずらし、脇から指を潜らせる。

くちゅ――。

その、すでに愛液をたたえた場所を、俺は浅く掻くように刺激した。
くち、くちっと、わざと音をたてるように粘液を指先で遊ばせる。

羞恥に震え頬を染める沙紀の耳元で、俺はその小さな耳朶を口に含みながら
沙紀にその事実を確かめさせた。



「濡れてる」
「やっやだ、待っんっ! ひゃっ! あぁっ!」
「ここは……勃ってるな、沙紀」



ぴん、と、指先でしこりを増した莢を弾くと、沙紀は背筋を伸ばすようにびくくっと震える。
俺はその反応を愉しむように、執拗にそれを繰り返した。



「い、っあ! あっ! か、かみ、きくっ! んあっ!」
「危ないだろう? 学校の中だって、こうして」
「ンンンンンっ!!」
「誰かに、襲われるかもしれない」



ぎゅうぅと強く花芯を摘まむと、沙紀は瞼をつむり、
うっすらと目尻に涙を浮かべて喘ぎ声を上げた。



「そんな事になっても沙紀は感じるだろ?」
「そっそんなこと! あぅっ!」
「やらしいもんな……沙紀は」
「や、やだ、やだっ! あっ……!」



ふるふると沙紀は首を振りその言葉を否定する。
だが俺はそれには構わず、ぬかるみを増した秘唇に、
くち、と指先を埋めようとした。


すると、その気配を感じた沙紀が身を固くし、
そしてそれまでのどの声よりもはっきりとした意思を持って言った。



「だめっ……! かみきくっ、……ス、ストップ!!」
「ッ!」



それは以前、自由を奪った沙紀に与えた行為中止のための言葉だった。
その拒絶の言葉に俺は、ズキンッ、と、驚くほどに胸が痛んだ。

だが動きを止めた俺の顔を見た沙紀もまた、
傷ついたような表情をして言葉を探しているようだった。



「あ……っちが、違うの。嫌なんじゃなくて、あ、あのね」



おろおろと動揺しているような沙紀が言葉をつなぐ。

すぅ、と、先程まで身の内を支配していた熱が醒める感覚がした。



「……いや……悪かった。ふざけ過ぎたな……」



俺は沙紀の体から半歩離れ、押さえ付けていた手首を下ろす。
沙紀はその様子を見ながら泣きそうな顔をし、首を振っていた。



「ちがう、いや、なんじゃなくて……」
「悪い。……頭、冷やした方がいいみたいだ」



そう言うと俺は沙紀の手首に巻きつけたネクタイをほどいた。


泣きそうな、そんな顔までさせてしまった。
俺は身を裂くような罪悪感に襲われ、赤みを帯びた手首にそれ以上触れることもできない。

沙紀はふるふると首を振り、何かを否定している。
だがそれは今の俺にとってはもう、何の救いにもならなかった。

心が、驚くほどに沈む。



「神木くん、あの――」
「……帰るか」
「…………う、ん」



俺のその言葉に、沙紀は重く頷いた。



そして俺は、最寄り駅のホームに降り立つ沙紀の背中を見送るまで
謝る事も、優しくする事も、さらには何かを話す事さえもできなかった。

プシュ、と閉まる扉の向こうで物言いたげな表情の沙紀がちらりと一度電車を振り返る。

しかし、それさえもどうすればよいか分からず俺は、
視線を車内へと戻し気付かないふりをしてしまったのだった。







翌朝。

HR前の活気ある教室に、俺は重い足を踏み入れた。

ちら、と見渡した教室の中にはまだ、沙紀の姿はない。
だからと言って気持ちが晴れやかになるはずもなく、俺は何度目かも分からない溜息を吐いた。

理由は、昨日のことだけではない。
いつも乗り合わせてくる電車に今朝、沙紀は乗ってこなかったのだ。

理由はどうであれ、嫌な思いをさせてしまったのは事実だからこそ、
きちんと、顔を見て謝ろうと思っていた矢先に出鼻をくじかれ、避けられたのかと心が曇る。

だがまだ来ていないとすると、寝坊した線が濃そうだと
一人自分に言い聞かせながら席へと向かっていると、
俺の姿を見つけたらしい巳古がそばへとやってきた。



「おーす、やっと来た。ん? どした?」
「なにが?」
「いや、なんか、暗くね?」
「別に。そっちは何だ?」



本当に他人の感情には敏感なんだなと思う。
普段から特別明るくしているわけでもない俺を見て、いつもとの違いを指摘するなんて、と。

だがだからと言って昨日の出来事を巳古に話す気にはなれず、
俺はカバンを机の上に置くと話の続きを促した。



「おぉ、そうそう。昨日さ」
「ん?」



話したかったらしい事を口に出そうとして巳古は声をひそめ、
そして指で机に『む、ろ、せ』と文字を書いた。



「――からメールが来たんだけどさ」
「それが?」
「この辺でアダルトグッズ売ってる店、教えろって」
「……むっ! ……あいつが?」



驚きに、げほ、と喉の奥で空気がつかえた。
思わず巳古の、ささやかなデリカシーを台無しにしそうになったのをすんでの所で押しとどまる。

その様子を巳古は満足げな表情で眺め、腕組みをしながら話を続けた。



「な、意外だろ? びっくりしてさー、俺。あいつにもそんな相手が、とか想像して感慨深くてねぇ」
「それを俺に言う巳古にもびっくりだが……」
「ああ、それは平気。だって――」
「だって?」
「いや、なんでもない。てか、神木、そういうので人を見る目変えねーだろ?」
「……まあ、そう心がけたいけどな」
「なんてな。驚きを共有したくてってのが大半だけど」
「……」


くくっ、と手の甲を口に当てた巳古は心底楽しそうな笑みを浮かべ、
ちらりと上げた視線で友人と談笑している室瀬を見やる。

だがその表情は、俺にリークしている内容とは裏腹に、
どこか微笑ましいものでも見るような柔らかいものだった。

そのギャップにいささか違和感を覚えつつも俺は言葉を続ける。



「お前なら知ってると思われた事を気にすべきじゃないか?」
「あー確かに。まぁ結局、小糸にあるコスモロジーって店、教えといた」
「へぇ。そんな店があるのか」



地元から一駅、昔から馴染みのあるその街にそんな店があったのかと驚く。
小糸は北を山、南を海に挟まれた狭いところだがそれなりに栄え、
都会とまでいかないまでも遊びから買い物まで十二分に用の足りる街だ。

だがそこにアダルトショップがあったとして、
室瀬は何を買いに行くのだろう、と、純粋な疑問が頭によぎる。



「彼女は果たして一人でそこに行くのか」
「……想像、しがたいな」
「あぁっ!! ちょっと……!」



男二人、室瀬のその姿を想像してしまっていると、
めざとくその様子を見つけた室瀬がこちらへと駆け寄ってきた。

すでに会話の内容を察したようで、顔を紅く染め慌てている。



「おぅ、室瀬、おはよう」
「あんたまさか神木君に言ったんじゃないでしょうね……?」
「何を?」
「き、昨日の」
「昨日のって?」



まさに、満足至極、優位に立った者の笑みを浮かべ、巳古が室瀬を見下ろす。



「っ……! 神木君、何か聞いたとしても違うからね、たぶん、勘違いしてるからね!」
「室瀬、彼氏でもできたのか?」



そして俺の言葉に室瀬はより一層、
その頬をまるで林檎かサクランボかと言いたくなるほど真っ赤にしてかぶりを振った。



「ちっ! 違う!! 違うよぉぉ……!」
「……違うのか?」



だとしたら何に、と続けてしまいそうになり俺は口をつぐんだ。
まったく、そもそも朝っぱらからする話じゃない。



「安心しろ。神木はそういうので人を判断しないそうだ」
「あのねぇ! 嫌がらせってゆーのよ、こういうの!」
「まーまー。それよか、神木も行けば? その店。間宮とちゃんと仲直りしたら、二人で」
「あっ、そ、そうだよ神木君。沙紀と行くときっと楽しいよー?」



その、巳古の思わせぶりな言葉に俺は目を見開いた。
巳古のセリフに同意している時点で、その店の事を肯定してしまっているとは気付いていない様子の室瀬は、
何故か激しく頷きながら胸の前で手を握りしめている。

矛先が自分から逸れ、少し安心しているようにも見えるが。

それにしても昨日の事はまだ一言だって話していないというのに、うまく顔色を読む奴だと感心さえしてしまった。



「なんでそれ…………余計なお世話だ」
「分かりやすいんだよ、神木。それに間宮も」



巳古はそう言うと、教室の後ろを見やり、手を上げ笑顔になった。
その動作につられて俺も顔を後ろへと向ける。

すると、そこには少し息を切らし教室へと入ってくる沙紀の姿があった。

沙紀は巳古の挨拶に気づくと笑顔になり、手を小さく振って「おはよう」と口の形を作る。
だが俺と視線が合った瞬間、その手を降ろし肩にかけたカバンの肩紐をきゅっと握った。

かろうじて浮かべられた笑顔も、
小さく「おはよ」と動いた口も、どこか気まずさを含んでいるように見える。



「分かりやす過ぎだよなぁ?」
「うん、確かに。あ、……ごめん、神木君」
「いや、まあ……わかりやすい、か」



俺の言葉に巳古と室瀬は揃って首を縦に振った。
するとタイミングを見計らったように始業のチャイムが校内に響き渡った。

その音に顔を上げた巳古がポン、と俺の肩を叩く。



「愛のアドバイスが欲しかったら、いつでも言えよ?」
「原因作った張本人の癖に……。
 神木君、こいつのアドバイスはともかく、私も、できることあればするからね!」
「……ああ、ありがとう」



珍しく方向性が一致したような、してないような事を言い、室瀬はパタパタと駆け足で、
巳古は「遠慮するな」などと言いながら席へと戻って行った。

教室の前方ではすでに担任がHRを始めようとしている。

形式だけのHRの間、俺は室瀬はなぜアダルトショップに、という疑問を抱えたまま、
これが終わったら沙紀に一言謝ろう、だがどう謝ればいいだろうかと考えていた。



そして一限目までのわずかな時間、
机の中をごそごそとあさり、教科書を探しているらしい沙紀の元へと向かった。



「沙紀」



そう呼びかけた俺の声に、沙紀はぱっと顔を上げた。
いつもなら花が咲いたように満面の笑みを浮かべるが、今日はさすがに違う。



「あ……おはよ」
「ああ。……寝坊か?」
「え、あ、うん。えへへ、二度寝しちゃった」



沙紀はそう言うと、照れたように髪を手で触った。
もともと猫毛のふわふわした頭も、よく見ると寝癖らしき跳ねがある。

避けられたわけではないのか、と、俺は僅かに安堵の息を吐いた。



「そっか。……あのな、沙紀」
「ん?」



椅子に座ったままの沙紀が、きょとんとした表情をして俺を見上げる。
すこしバツの悪い気分を味わいながら、俺は口を開いた。



「……昨日の事。……その……、……わるかっ――」
「あっ、のね! えと、神木くん」
「え?」



だが、その謝罪の言葉は、沙紀の慌てたような声で遮られた。
確かに、談笑に満ちた朝の教室でする内容の話でもない気もするが、
沙紀がそれを気にするとは思いにくい。

ぱくぱくと動かされる口は、何か言葉を探しているようでもある。
そして、まるで、思い切りがついたとでもいうように、
こくん、と喉を鳴らした沙紀は、ぽそりと呟いた。



「……あのね、今日……」
「……?」
「今日の放課後……あの、神木くんの家……行っても、いい……?」



沙紀は、昨日見た中庭を思い起こさせるようなもじもじとした仕草をしてそう言った。
俺は、脈絡の読めないその言葉に一瞬たじろぐ。



「あ、ああ。いいけど……なんで……いきなり」
「あっ! ……授業始まっちゃう」



そして、再び鳴り響いたチャイムによって尋ね返す機会を逃した俺は、
その日二つ目の疑問を抱えたまま、一日を過ごすことになった。







「お茶でよかったか?」
「うん。ありがとう」



差し出した冷めたいお茶に、沙紀と俺、同時にこく、と口をつける。
ふぅ、と吐き出された息まで同時だと分かるほど、
部屋の中はしんとした妙な空気に包まれていた。

共働きの両親は夜まで帰ってこず、大学生の兄は家を出て一人暮らし。
飼い猫は極度の人見知りで、
まだ数えるほどしかうちに来たことのない沙紀の姿を見た瞬間、走ってリビングへと逃げた。

つまり誰もいない一軒家、二階の俺の部屋に届くような音はこの家の中にはない。

もともとテレビもオーディオ機器もない自分の部屋の中、
電源の入っていないデスクトップPCも、今は静かに机の上に乗っかっている。


飾りっ気のないガラス板の座卓にコップを置く音がコン、と響く。


放課後の教室から電車、家までの道。
家に入る際の「お邪魔します」まで、沙紀と俺はずっと無言だった。

俺は一体どうすればいいのだろうかと考えているうちに家についてしまった。
どういうつもりで沙紀が家に来たいと言ったのかも、
すでに昨日の事は許されているのかどうかも、
何も無かったように普段通りしてもいいのかも、皆目見当がつかない。

そして沙紀はというと緊張にも似た表情を浮かべている。
かといって怒りや不愉快さは微塵も感じない。



「……ぁ」
「……?」
「あのね」



閉め切った窓の外の雀の鳴き声さえ聞こえてきそうな沈黙を、
沙紀の小さな声が遠慮がちに破った。

俯いているせいで表情はよく読み取れない。
ぺたんと正座した膝の上に置かれた鞄を、まるでお守りのようにぎゅっと抱えている。



「昨日の、事なんだけど……」
「……ああ」



予測のつかない状況に思わず、こく、と喉が鳴った。
うちに来るという沙紀の行動自体がすでに予測の範疇外だ。

すると、沙紀の口から思ってもみない言葉が出てきた。



「……ごめんなさい」
「え?」
「私……たぶん、わがままを言っちゃったんだと、思う」
「わがまま?」



まったく予想外の言葉に俺はオウム返しに尋ねた。
わがままだったのは、むしろ俺ではないだろうか。
子供じみた、拙い嫉妬をしてしまったのだから。



「うん……。前に私、自分から……その……いじめて欲しいって、言ったのに」
「あ、ああ」
「それなのに、ストップって言ったから……」
「……だけどそれは――」
「ほんとは、すごく……ドキドキしてた」
「……」
「だから、身体は、ちゃんとやらしく反応してた」



この場合、確かに、と言ってもいいのだろうか。
指先に、昨日の沙紀の熱いぬかるみの感触が甦る。
その言葉に対してどう返して良いものか分からずにいると、沙紀が鞄のファスナーを開け始めた。



「けど、勘違い、されたままじゃダメだと思ったの」
「勘違い?」
「うん」
「勘違いって――……ん?」



コトン、と沙紀は、鞄から取り出した何かを机の上に置いた。
薄いピンクのキャップがついた、まるでメープルシロップの容器のようなもの。
透明な液体が入ったそれがなんなのか、俺は分からずにそのまま沙紀に尋ねた。



「何だ? それ」
「…………ローション」
「え?」



俯いたまま、ぽそりと吐き出されたその意味を正しく判断できている気がせず、俺は尋ね返す。



「えっちの時に使う、トロトロの、ローション……だよ」



たどたどしくもどこか開き直りともとれる口調で沙紀がはっきりとそう言った。

参った、と心の中で思う。

沙紀の意図が、気持ちが、さっぱり読めない。

気が付けば、沙紀はこちらをじっと見ている。
淡い栗色の目と視線がぶつかる。なんだか久しぶりに沙紀と目を合わせた気がした。

笑みもなく、ただ、まっすぐこちらを見ている。

だがその表情を見ても、どういうつもりでそれを持って来たのか分からず俺は口を開いた。



「沙紀、ちょっと待て」
「……なに?」
「まずな」
「うん」
「俺は、昨日のことで怒ったりはしてない。怒る理由もない」
「……そうなの?」
「ああ。沙紀が、嫌だと思ったからストップって言ったんだろ?」
「……それは、違う」
「違う?」
「うん。違う」
「じゃあなんで――」
「私は、今、全部、神木くんのものになってる。
 神木くんは私の隠したい部分も全部受け入れてくれたから」



トクン、と心臓が跳ねた。
二重瞼の目で、まっすぐ俺を見ながらそう沙紀は言った。
次ぐ言葉を失い、その意味を胸の中で反芻していると沙紀が言葉を続ける。



「神木くんがそうしてくれたから私は素でいられるんだよ」



それは、俺も同じだ。俺も素でいられると思っている。
だからこそ俺は幼稚な嫉妬をし、それをぶつけてしまった。



「神木くんの前でだけ……隠さずに。……恥ずかしい時もいっぱいあるけど」



隠せなかった。本当はこんな強烈な感情、隠してしまいたい。
決して恥じるものではなかったが、表に出すには照れくさ過ぎる。


沙紀を、誰にも渡したくない。
その全てを、誰のものでもなく、自分だけのものにしておきたいだなんて。



「だから神木くんにも、信じて欲しいし、安心して欲しい」
「……沙紀」



それは、俺も思っていることだった。そして同時に、それを出来ていなかった。
立場が逆だったら、俺も沙紀と同じことを思うのだろう。

精一杯の沙紀なりの思いやりがその言葉に含まれているようで、
俺は思わず沙紀の体に手を伸ばし、
ぎゅうと音がするほど強くその体を抱きしめていた。



――こんなに、想われている。それなのにひどい事をしてしまった。



「悪かった……」
「ううん。でもどうしたら安心してもらえるか私……
 よくわかんなくて。こんな方法しか思いつかなかった……」
「方法?」
「このローション……お……おしり、でも、使える、やつ、なの」
「……」
「神木くん、私の、初めて全部……もらって……くれる……?
 ……なんて、ごめんね。……こんなばかな彼女で――……んっ」



抱きしめていた沙紀の、肩に乗せられた顎を引き寄せると、俺はその唇を奪った。

馬鹿な彼女だろうが、突拍子のない事を言い出す子だろうが、沙紀は、沙紀だ。
ノーマルだとか、アブノーマルだとか、そんな事も一切、俺には関係ない。

沙紀が、自分の好きな女が俺に、その身を差し出している。
その全てを委ねて。

それを嬉しいと思わない訳がなかった。

絡めた舌を甘く吸い、少し乾いていた沙紀の唇を濡らす。
ふっ、ふっ、と沙紀の浅い息を顔に受け、ちゅる、と唇を離すと俺は言った。



「もらってばっかじゃ、フェアじゃないだろ……」
「え……?」
「俺も、そんなことするのは初めてだけど……?」
「あ……」



その単語に反応し、そして言葉の意味が通じたらしい沙紀が、ぽぅっと頬を染める。



「……神木くん……あのね……」
「ああ」
「神木くんが初めて……、……おしりで、エッチするの、ちょうだい……?」
「……入れられたい?」
「うん……。私の埋められるところ全部、初めては神木くんがいい……」
「……ああ……分かった。…………俺も……沙紀がいい」



恥ずかしさを堪え、精一杯、素直な気持ちを口にすると、
それはすんなりと沙紀に届いたようだった。

照れと、喜びと、嬉しさと、そして期待に、
沙紀はうっとりと、とびきり愛らしい笑顔を浮かべた。







沙紀の体を抱き締め、後頭部を撫でていた手で後ろ髪を僅かに上げる。
白く細い、うなじに唇を寄せた時、沙紀の口から、ふ……と吐息が漏れた。

滑らかな皮膚からかすかに香る沙紀の甘い匂いが強くなった気がした。
もちろん幻覚に過ぎないのだろうが。

その匂いを吸い込むと、
まるで媚薬の成分でも含まれているのかと言いたくなるほど身体が熱くなる。



「沙紀……?」
「……ん……なに……?」



ちゅ、かぷ……、とそこに甘噛みをしながら、俺は気になっていた事を沙紀に尋ねた。



「もしかして、これ買うのに……室瀬に何か聞いたか?」
「え……? うん……売ってるようなお店知ってる? って聞いたよ。
 他に聞ける人いなくて……なんで?」
「いや」
「ん……? ……ふ……ぁ」



なんとなく、と、耳に直接囁くと、沙紀は柔らかい声を出した。

恐らく、俺の推測は正解だろう。

世話焼きの室瀬が、沙紀から相談混じりに尋ねられ、「知らない」とだけ答えるはずがない。
きっと、知っていそうな人間に尋ねる。
それも沙紀の名前は出さないという配慮は忘れずに。

室瀬が尋ねた相手が巳古であり、あの様子だと巳古は沙紀がその相談元だと気付いている。
それならば今朝の、違和感を覚えた巳古の笑顔にも納得がいく。

巳古は何も知らない振りをし、
室瀬が慌てたり恥ずかしがる様子を面白がっているのだろう。

巳古が気付いているとも知らず、
そして言い訳もできずにいるだろう室瀬が若干気の毒な気もするが。



「あっ……あとこれも……」
「……準備がいいな」



思い出したようにそう言うと、沙紀は鞄から、ウェットティッシュの個装を取り出した。
ポケットティッシュ大の密閉パッケージに除菌と書かれたそれを見て、
俺は思わずくつくつと笑いを漏らしてしまう。



「っ……神木くんの、指とか、汚しちゃいけないと思って」
「沙紀がこれ思いついたのか? それともこんなことまで室瀬に聞いた?」
「ちがっ! さすがに、そこまでは……」



アダルトショップを尋ねる事と、
沙紀のいう"そこまで"聞く事とに大した差はないのではと思うけれど。
沙紀は少しもごもごと口籠ったあと、ぽつりと白状した。



「……夜、自分でネットで調べた」
「……何を?」
「あ……アナルセックスの、しかた、とか」
「それで寝坊か……」
「う……」



ほとんど分かり切っていた答えをわざと尋ねると、
沙紀は羞恥に顔を赤らめながらも少しバツの悪そうな表情をした。



「それにこれ、一日中鞄の中に入れてたんだよな……?」
「う、うん……。ちょっと……ひやひやした」
「ドキドキの、間違いだろ?」
「え……、ぁ……」
「俺にどう言おうかとか、何されるか……とか、想像してたんじゃないのか?」
「……う……ん」



俺の言葉に思い当たる節でもあるらしい沙紀は言葉を濁した。
その表情がどう変わるのかを見たくて、俺は顔を離し、沙紀の頬に手を添える。



「教えてくれるか?」
「なにを……?」
「一日中、沙紀が想像してたこと。俺に、して欲しかったこと」
「して……欲しかったこと……?」



んく、と沙紀の喉が上下した。
すでに霞がかかったように蕩け気味の眼が、俺を見つめている。



「沙紀がしたかったことでもいいけど……?」
「…………恥ずかしい、かも」
「そんなにヤラしい想像してたのか。しかも学校で」



ふっ、と呆れたように笑うと、沙紀はかぁっと赤くなった。



――図星だな、これは。



心の中でだけ言ったつもりが、どうやら表情に出ていたようだ。
ますます頬を赤らめた沙紀がぱっと顔をそらす。
俺はその顎を掴み、僅かな抵抗を無視してこちらを向かせた。



「ん?」
「っ……、ぁ」
「部室じゃダメだとか、人が来るかもだとか言っときながら……。
 学校で、授業中も、周りに同級生いっぱいいる中でもずっと、ヤラしいこと考えてた?」
「っ……、う……ん」
「……最初は?」



俺はそう言い、促すように視線を送る。
言いたい事がわかったのだろう。
沙紀は、もう一度、こくりと喉を動かしてから、俺の頬を両手で挟んだ。

僅かに傾けられた沙紀の顔が近づく。



「……最初は、キス……する。……ん」



ちゅ……と軽い音を立てて沙紀の唇が触れたとき、
たわいもなく心臓がきゅう、と締め付けられる感覚がした。
漏れそうになる吐息を抑える。


しっとりと汗をかいた沙紀の掌が頬にぴたりと添えられ、ぱく、と沙紀の柔らかい唇が俺の唇を噛んだ。
うっすらと開けた目に映る、至近距離の沙紀の、色づいた表情。

空いていた手で沙紀の背中を撫で、傍らのベッドの上へとその体を誘う。
どさ、と仰向けに倒れた俺の上に沙紀の軽い体が重なる。



「ン……」
「っ……」



その背中に手を回すと、まるでそれが合図だったように、沙紀の小さな舌がゆっくりと唇を割ってきた。
俺は唇の力を抜き、沙紀の好きなようにさせてみる。



「ふ……。ン、ン……っ」



薄い唇の輪郭をなぞり、濡らす。
粘膜の柔らかさを確めるように這ったかと思えば、
うんと伸ばされた舌先が、前歯の後ろ、自分の舌がいつも当たっている場所を舐めた。

くすぐったさにも似た、ぞくりとした感覚に思わず息が漏れる。



「っ……さ、き……」
「んっ、ん、はぁ……、ここ、いつも神木くんが、舐めてくれるトコだよ」
「そう、か……?」
「ん。きもちいい……?」
「っ……。次、は?」



気持ちいいに決まってる。沙紀にキスをされているのだから。

ただキスをされているだけだというのに、もう勃起している。
だが俺はその言葉を飲み込み、質問を返した。



「ん……次は……」
「……積極的だな、今日は……ずいぶんと」
「うん。……腕、あげて?」



沙紀は、仰向けになった俺の腹の上にちょこんと座り、
制服のシャツのボタンを外し、そしてTシャツの裾に手をかけた。

するすると脱がされる感覚に、いつもと逆だな、などと思う。
だが、俺には脱がされることへの恥じらいはさしてない。
だから言うなれば、脱がす事への羞恥に頬を染めている沙紀の方が分が悪い。


恥ずかしさを堪え、僅かに眉をたわめた表情にそそられさえする。



「沙紀も。脱いで」
「えっ、あ……うん」
「脱がされる予定だったか?」
「ち、ちがっ……ぅ」



ちろちろと、興奮に後頭部があぶられるような感覚がする。
違わないだろ? と、小さく苦笑いをすると、沙紀は恥ずかしそうに眼を逸らした。


そしてぎここちない指先で、沙紀は自らの制服を脱ぎ始めた。
しゅる、とネクタイを解き、ぷち、ぷち……ともどかしいほどゆっくりとシャツのボタンを外す。

沙紀は俺の体を跨いだまま、ぱさり、と、小さくたたんだシャツをベッド脇へと落とした。
下半身は制服を身につけたまま、スカートにブラジャーという光景にひどく煽られる。



「は……ぁ」



露わになりつつある素肌を隠す術もなく、沙紀は俺の胸に手をつき、ひとつ、ゆっくりと息を吐いた。
だが俺は手を伸ばし、胸を覆い隠すブラジャーに指を這わせ、外すように言った。



「沙紀、それも」
「……ふ、……うん」



なまめかしく、沙紀の手が背後に回され、ぷち、と音を立ててホックが外される。
肩紐をずらしブラジャーを取ると、沙紀はやんわりとその腕で胸を隠してしまった。



「次は……?」
「っ……」



裸になった胸を這う俺の視線がたまらなく恥ずかしいらしい沙紀は、
その上半身を、とさり、と俺の体の上に落としてきた。

視界からは消えてしまったものの、自分の肌で沙紀の柔らかい乳房がぐにゃりと潰れる。
そして、互いの心臓の鼓動が直接触れ合う官能に、視覚よりも強く興奮した。



「神木くんの……を」
「ん?」
「口で、する」
「……そういう予定だったのか?」
「うん……」



耳元で吐き出される、興奮を滲ませた声音にぞくりと体が震えた。
体を下へ下へとずらし始めた沙紀の動きに、きし、と、パイプベッドが軋む。

カチャカチャとベルトが外される音と、互いの熱っぽい呼吸音だけが小さな部屋の中に響く。
ジィィー……と、ジッパーの下ろされる音も。



「っはぁ……、神木くん、の……おっきくなってるよ?」
「ああ、そうだな……。しょうがない、だろ」




首筋に、胸板に、脇腹に、臍に。
キスを降らせながら顔を下げていった沙紀よりも一足早く、
その指先がズボンの隙間へと忍び込み、トランクスの膨らみに触れた。

必死に堪えていなければ、情けない程に上ずった声になっていただろう。
股間の目の前へと移動した沙紀が、その体にスカートだけを身につけ、
乳房を隠す事もなく上目遣いにこちらを見ていたのだから。



「ふあ……、神木くんの、におい……。少し、濡れてる」
「っ! ……く。立場が、逆だな……いつもと」



こしゅ、こしゅと、トランクスの布地越しにペニスをさすられ、
ひりつくような快感に声が詰まる。

強がったセリフを口にして沙紀の頭に掌を乗せると、
ふふっ、と、どこか妖艶な微笑みを浮かべた沙紀が、
その掌に誘われるようにそっと、ズボンとトランクスを脱がしにかかった。


さすがに恥ずかしい、と思う。
だがそれも相手が沙紀なればこそ、恥ずかしくも嬉しくもあるようだった。

沙紀は、勃起して反り返ったそこに少し苦戦しながら、
ウエストのゴムを目一杯ひっぱりこわばりを取り出す。



「ぁ……、んくっ……、は、ぁ……」
「……物欲しそう……だな」
「……神木くんも、ね」



ひく、と確かな硬さを持ってそそり立つペニスに、沙紀の熱い吐息がかかる。
沙紀の興奮を詰るつもりで言った言葉も、そっくりそのまま返されてしまった。


どうにも劣勢だなと、一人心の中で呟く。
そして、妙に沙紀が強気だ、とも。


そんな事を思っていると、ズボンもトランクスも脱がし終えた沙紀が、
テーブルの上に置いたままになっていたローションのボトルに手を伸ばし、
簡素なプラスチックの包装シールをぺりぺりと剥がした。


なにを? と俺が言葉に出す前に、沙紀がそのパッケージの印字をぽそっと読み上げる。



「口に入れても無害です。……オーラルセックスにも使用可……」
「ん?」
「本品は食品ではありません……」
「沙紀? ……っ! 冷てっ!」



そして、その容器の蓋をあけるやいなや、つぅーっと俺の下半身、
正確には起立し天井を向いているペニスに向けてローションを垂らした。



「結局どっちなんだろう……?」
「っ……! はっ」
「すごい……ぬるぬる……」



感嘆ともとれる声を出しながら沙紀は、ローションまみれになり、
糸さえ引いている俺のペニスにその手を絡めてきた。

ぬぢゅっ、と、普段、沙紀の秘唇からならば聞き慣れているような粘着質な音が、
自分の下半身から聞こえてくる。


そしてもう一点、普段とは異なる事が。


これまでなら好奇心の混じった瞳で、まるで観察するように、
じっくり、ゆっくりと動かされる手が、
今日はぐじゅぐじゅと遠慮のない動きでペニスを扱きあげている。

気持ちいい事この上ない動きではあったが、
快感を与えるためにただ責めるようなその動きに
違和感を覚え、俺は沙紀に声をかけた。



「沙紀……?」
「ん……? なに……?」
「なんか…………もしかして、っ、怒ってるのか……? くっ!」
「…………」



瞬間、紙一重で痛みを感じるか感じないかという強さでペニスを握られ、俺は声を詰まらせた。
恐る恐る視線を向けた下半身には、沙紀の微笑みが。



「怒って……は、ないよ。ただ」
「っ、う……」
「ちょっと、……かなひかった」
「なに、が……ッ……!」


れろ、と舌先で鈴口をねぶった沙紀が、そのままその唇を開き、てらてらと光る亀頭を口に含んだ。
じゅぶり、と卑猥な音がする。

ぞぞぞぞと体の芯を快感が走り、思わず眉を寄せ、声を抑えた。
十分怒っているように見えるぞこれは、という言葉も一緒に飲みこむ。

先端を、舌と唇とでちゅぱちゅぱと吸い、
ローションに塗れた陰茎を沙紀の小さな手がしごく。
そしてもう片方の手で、陰嚢までも包み込むようにやんわりと揉まれる。



「ンっ、ンッ……ぷぁっ、んんっ、じゅ、じゅ……、んっ、はっぁ」
「さ、き……っ、どこ、で……っ!」



どこでこんな事を覚えたんだと言いたいところだった。
だが僅かに上半身を起こしたところで、その快感に呆気なく負け動きを止めてしまう。
ぞわぞわと襲いくる波が、息を荒くさせる。

ぬるぬると陰部全体を撫で回させる感覚に、腰の奥が溶けてしまうようだ。

そして上目でちらりと俺のその様子を見た沙紀は、気を良くしたように、
ますますその動きを激しいものへと変えていった。



「ンッ、グン、ン、はっ! ンンっ!」
「沙紀っ。そん、なにすると……出る、ぞ?」
「ンンっ、ぢゅっ、ンっ、はぁ、んっ……!」
「沙紀……っ!」



快感が膨れ上がり、沙紀の口をいっぱいに塞いでいるペニスがひくつく。
俺は堪え切れず手を伸ばし、ぐぷぐぷと動かされている沙紀の頭に手を乗せた。



「ぷあっ……! は、はぁっ……はぁ」
「っ……!」



すると、まるでそれを目安としていたかのように、
沙紀の口も、手も、ペニスから離れていった。
あともう少しというところで快感を失ったペニスが、ひくひくと喚いている。

沙紀は、先程までの激しい口淫はなんだったのかと言いたくなるほど、
触れるか触れないか、ぎりぎりの強さでペニスに指を這わせていた。


――まさか


と、沙紀の行動への憶測に、俺は、苛立ち混じりの欲情を覚える。



「沙紀」
「ダメ……だよ、まだイッちゃ……」
「……なんで」
「だって、私……少し悲しかった。勘違いだとしても、疑われて」



そうは言いながらもその指は、
熱せられたローションとともに陰茎に絡められたまま、
俺の感度を維持させるよう卑猥に動かされている。

だがその表情は、すでに、悲しさを大きく上回る
性的な興奮に支配されているように見えた。

ちら、と沙紀の視線が俺の下半身へと動く。

口寂しさに耐えかねてという言葉がぴったり当てはまるような、
まるで甘味を口に頬張るような、そんなうっとりとした表情をしながら沙紀が、
再び俺の下半身へと顔を埋めた。



「だから、まだダメ。……イくの、我慢してね……?」



ある意味、仕返しなのだろうか。
沙紀なりの痛み分けかと、一瞬、納得しようとした。

だが、口腔いっぱいにまで亀頭を頬張りながら視線を上げ、
もどかしげな俺を見る沙紀の表情の中に僅かに、その反応を愉しむような気配を感じ、
俺は身の内に嗜虐心が湧くのを感じた。

沙紀が少し、調子に乗っている。
その気配に、「躾けろ」という声が自分の内側から聞こえた。

自らのそんな感情に心中、溜息をつく。
つくづく、責める側の方が性に合っているのだと。



「……我慢、できると思うのか……?」
「ふ?」



のそりと上半身を起こした俺に沙紀は、どうしたの?
という風にペニスから口を離そうとする。
しかし俺は、その頭を手で押さえ、さらに深く咥えさせた。



「んっぐっ……!」
「勘違いして疑ったことは、謝る……。悪かった」
「ふっ……! ンンンっ! ぷあっ、はぁっんっ、ン――!」
「だけど疑いは……もう晴れたんだよな……?」



くぐもった沙紀の声に性感が増す。

両手を使い沙紀の頭を揺さぶると、荒っぽい快感と一緒になって、
精神的な興奮がぐらぐらと脳内を満たしていった。

カリ、と、沙紀の指先が俺の腿を引っ掻く。

心のどこかで、また、「ストップ」と言われるのではという危惧があった。
しかし沙紀は、この仕打ちに対してさえ、健気に歯を当てないよう口を開けている。
もがく手も、腿を掻く指先も、少しも痛くない強さ。



だとしたら、沙紀が望んでいる事は、ひとつしかない。
そしてそれは、俺が望んでいる事と一致していた。



「沙紀は全部……っ、俺だけのもの……だったよな?」
「……っふ、う……っ、……っ!」
「だったら、俺は……沙紀を全部、好きにしてもいいはずだよな……?」
「……っ、……」



沙紀は、答えない。
ただ、淡く期待するような、涙ぐんだ目をこちらに向けているだけだ。



「沙紀……」
「ンッふっ、あ……グ……ン……!」
「このまま下着、脱いで」
「ン、ンッ……!」
「ん?」



頭を押さえられているせいで口腔いっぱいにふさぐペニスを吐き出す事も出来ず、
ちらりと非難がましい視線を沙紀は送ってきた。



「なに言ってるか分かんねーよ。ほら、脱げるよな?」
「んっ、ンッ……ふ」



だがそれも、本心からの非難ではないと分かってしまった。
送られてきた視線の中、絡まるようにトロリと、色気を増した表情。


沙紀は、片手でバランスを取りながら、もう片方の手を自身の下半身へと手を伸ばした。
ごそ、と、僅かに身じろぎをして、沙紀は片手でスカートの下からショーツを抜き去った。


フワフワと揺れるスカートの下にあるだろう、剥き出しの尻と、
そこにこれからするだろう行為を想像し、思わず沙紀の頭を揺さぶる手に力がこもる。

片手で十分押さえきれる沙紀の小さな頭が上下し、
与えられる快感にいささか体の力を奪われながらも俺は、テーブルに置かれていた
ウェットティッシュのパッケージを開封した。



「高濃度エタノール……塩化ベンザルコニウム配合……逆性石鹸、か?」
「ふっ、ンっ、んぐっ! ンッ、……ンッ!」



ローションを手にした時の沙紀にわざと倣うようにして、俺はそのパッケージに
印字された文字を読み上げる。

そして、下半身に蹲り、まるで昼寝をする猫のように丸まりながらも、
卑猥な口淫を続けさせている沙紀の、下半身を隠すスカートの裾に手を伸ばした。



「粘膜に、使うには……強そうだな……なぁ、沙紀……?」
「ッふぅ……ん、ンぅっ……!」



沙紀の反応を確かめるように、じりじりとその布地の端を持ち上げていく。
自身の下半身が露わになる感覚にぎゅうと眉根を寄せる沙紀を愉しみつつ、
俺はその全てを捲り上げ、隠されていた双丘を剥き出しにした。


傾き朱色を増した西日が、真っ白な沙紀の柔肉を薄桃色に色付かせている。

沙紀が頭を動かすごとに揺れる小丘のラインとの魅惑的なコントラストに導かれ
俺はその谷間に指を差し込んだ。

期待が敏感さを増させているのだろうか。
後ろのすぼまりに指が掠めた瞬間、沙紀はびくりと体を固め、ふっ、と荒く息を吐く。

触れるか触れないか、数度、同じ動作を繰り返すと、沙紀の全身の震えに同調するように、
そのすぼまりさえもヒクヒクと息づくのに気が付いた。



「ココ、ひくついてるの、自分で分かる?」
「ふッぅ、……っっ」
「……もっと、ちゃんと見てみたいな」
「ひゃ、あ、ッ、ンンー!」
「ほら、大人しく動けよ……沙紀」



何かしら恥じらい、制止を乞う沙紀の声を無視し、腿を掴み俺の体を跨がせようと動かす。
いわゆる69の体勢をとると、俺の上半身を跨いだせいで広げられた沙紀の秘部が、
息がかかるほど間近に迫った。

どくん、と血流がまた、熱く強くなるのを感じる。
恐らく沙紀の咥えているペニスも、同じ反応をしたはずだ。



「……沙紀」
「っふ、……くぅン……、ン……」
「興奮しすぎ」
「ぅ、っあ……!」



だがこの状況に酷く興奮しているのは、俺だけではないようだった。
恥辱に荒くなった沙紀の息が俺の陰毛をくすぐっている。

そして何より、目の前に現れた秘唇はもう、納めきれない粘膜でぐずぐずと湿り切っている。
沙紀の興奮を少し笑ってやると、沙紀はより恥ずかしげに身を捩った。



「ちょうどいいな。これで薄めるか……」
「ふ……?」
「これ、だよ……沙紀」
「ンッッ……!」



そういうと俺は、かぎ状にした指先で秘唇の谷をこそげ、
今にも溢れて零れてしまいそうな沙紀の愛液を掬い取った。

とろっとした熱い粘液が、指先に絡みつく。
誘うようにひくつくその膣口にこのまま指を突き立てたい衝動を抑え、
俺はその透明に光る液体を取り出した一枚のウェットティッシュに滲み込ませた。

普段なら清潔さを連想させるエタノールの揮発した香りが、
濃厚な性の香りと混じり、現実離れした卑猥さを後押しする。

そして、その匂いに沸騰するような興奮を覚えながら俺は、
じっとりと愛液を含んだウェットティッシュを、沙紀のアナルへと押し当てた。



「ッッ!!」
「沁みるか……?」
「っ! ン、んっ……!」
「っく……は、ちゃんと、綺麗にしなきゃな……」
「ふっンっ、んっ! ぅ、……ふ、ふぁ!」



沙紀は、俺の問いに答える代りに、カリの周囲にゆっくりと舌を這わせた。
言う事をよく聞く犬のように、頭を押さえ付けていた俺の手が消えてからも、
一時も口からペニスを離さなかった沙紀が、ようやく、ぷはっ、と口で息を継ぐ。


俺は、快感の応酬の始まりを感じながら、優しく、
時折ひくつくすぼまりを丁寧に、執拗に拭っていった。







恥ずかしげに漏れる沙紀の吐息を下半身から聞きながら、
濡れたティッシュを柔らかく押し付け、くぷ、と僅かに食い込ませる。

膣口でさえ、男の、もとい自分のモノが咥えられるのが不思議なくらいだというのに、
沙紀のすぼまりは、それこそセックスをする場所としては不適切と思わざるを得ない程に
可愛らしいものだった。

周囲の皮膚よりも色が濃いそこが、沙紀の息と、俺の指に反応する。

エタノールが揮発し、ほとんど水分を失ってしまったティッシュをベッド脇のゴミ箱に放り捨て、
俺は沙紀に声をかけた。



「……綺麗になった。沙紀、スカート脱いで。あとローションもとって」
「……ふぁ……はい……」



心持ち虚ろな声で返事をすると、沙紀はのろのろとスカートを脱ぎ捨て全裸となった。

ローションの容器は沙紀が俺の下半身をぐちゃぐちゃにした後、そのまま俺の足元に置かれていた。
どこか力の抜けた沙紀がそのボトルを俺へと手渡す。
俺はそれを受け取ると、上体を起こし、俺の胴を跨がせたまま沙紀の体を四つん這いにさせた。



「はっ恥ずかしいよ、この格好……」



伸びをした猫のように高く尻を突き上げさせたその格好に、沙紀が形ばかりの抵抗をする。
相互に責め合うならまだしも、自分だけ、という体勢が気になるらしい。
どうにか俺の視線から逃れようと体を動かしてはいるが、
がしりと腰を手で固定したせいで思うように逃げられていない。

実際には、相当恥ずかしいのだと分かっていてやっているのだから、
目的通りの反応なんだと沙紀は理解しているのだろうか。

そして、その抵抗がまたこちらを煽るということも。


手にしたローションのボトルには確かに、アナルセックスにも使用できる旨が書かれている。
ガムシロップかメープルシロップかという外見の容器、薄ピンク色の蓋をあけると、
俺は、糸を引くその液体を、沙紀の尻の目がけて落としていった。



「ひゃっっ! 冷たっ……!」



沙紀が、俺がされた時と同じような反応を示す。
外気に晒され温度を下げた液体が、火照るほど血色の良い丘へ落ちているのだから無理もない。

つぅぅぅ……と、出来る限り細い糸を描くように、少量ずつ垂らすと、
結露した窓を流れ落ちる水ように、沙紀の尻を人工の粘液がゆっくり滴っていく。

ねっとり、ねっとりと、液体の性に従って集まり、重力によって斜面を落ちる。
高く掲げられた尻の、小ぶりな丘を転がり落ちた液体は、
それぞれが集まりより大きな流れになりながら谷間を目指し、
そして、その中央にある穴へとたどり着いた。



「ぅ……ぁ……っ!」



じりじりと偏執的な興奮が脳を焼く。

陰りを増してきた夕方の日差しが、より、その妖しさを助長しているようだった。
はっ、はっ、とせわしなさを増した沙紀と、そして俺の息遣いだけが部屋の中に籠る。

小さなすぼまりを通り過ぎた粘液はやがて、本物の、沙紀自身の粘液と合わさった。
視覚がそれを認めたとき、ぷちりとまたひとつ、性欲の泡が限界を迎えて弾けた。



「沙紀……?」
「は、はっ、ぁっ……な、に?」
「まだ俺に、いやらしく苛められたい?」
「……うん。……うん。神木くんに、やらしい事、されたい」
「じゃあ、手伝え」
「……?」



くるりと、背後の俺の姿を見ながらはっきりとそう言った沙紀が、
今度はきょとんとした表情を作る。

堪らない、などと思う。
沙紀の表情がくるくると変わる。
これから言う辱めの言葉でどう変わるか、見たくて、知りたくて、堪らない。
そしてそれを見ればまた……胸の奥底をぎゅうと掴まれ、そして、堪らないと思うのだろう。



――俺だけの沙紀。……馬鹿らしいほど、愛おしくてしかたない。



細切れのこの単語がうまく伝わればいいのにと、柄にもなく思ってしまう。
そしてそう思ってしまう相手は、沙紀だけだ。

もしかしたら今も後も沙紀だけかもしれないなとふと思いながら、俺は言った。



「その格好のまま、自分の手で尻、広げて」
「っ……!」
「恥ずかしい?」
「は、はずかし……」
「そうか、良かった。それが目的だからな。
 ……沙紀、自分で尻広げて。俺が、沙紀を苛めやすいように」
「……っ……」
「沙紀」
「…………は……ぃ……」



ぞくぞくと背筋を震わせる興奮にごくり、と喉が鳴る。

沙紀の指が粘液でべたつく尻を掴んだ時、ぐぢゅ、と、目の前で音がした。
頬と両肩とで上半身を支え、両手を使って沙紀が自らの尻を割り開く。

僅かに震える沙紀の指先が、その柔らかさに沈んでいる。



「は……ぁ、ぅ……」
「あと、教えてくれるか? ネットで調べたアナルセックスのやり方」
「ぅ……言わなきゃ、ダメ……?」
「じゃあ、このままもう……入れるか」



そう言い、何かに誘われるまま、親指の腹をぐぅと、そのすぼまりへと押し付ける。
初めてまともに触るその感触は、固く口を閉ざしていた。

明らかにこのままペニスを迎え入れられるはずもない感覚に、沙紀はふるふると首を振り、
言い難そうに口を開いた。



「……最初は、指でほぐして……って、書いてあった」



まるでそれをねだっているようなセリフに、慌てた様子で沙紀が言葉を付け足した。
くすりと笑いが漏れるのを我慢して、俺は人差し指の指先にローションを絡める。



「指は一本?」
「っ……うん。少しずつ、増やして、って……ッッ!」



そして俺は、沙紀の答えを聞き終える前に、もう、その指の先端をつぷりと穴へと埋めた。
びくんっ、と跳ねた沙紀の動きが、痛みから来るものではないと確かめながら、
慎重に、その指を奥へ奥へと進める。



「ああ、意外とすんなり入るんだな」
「あ、あ、っ……はいって……く、るぅ、あっ」
「第一関節も……第二関節も入った」
「あっ、あっ」



ずぶずぶと、指が、沙紀の体内へと埋まっていく。
精神的な興奮が、そのまま性急に動かしたい衝動へと変わる。



「不思議な感覚だな。突き当りがない」
「あふっ、っかみきくっ……ッ! あ!」
「締めつけもすごいし」
「あっあっ……、ぅあ、んッ!」
「どんな、感じだ?」



指の根元まで埋め、そして、指先ぎりぎりまで抜く。
じゅちゅ、じゅちゅ、と、ローションの泡立つ音が耳に響き、
沙紀のせわしなく細切れとなった喘ぎがその指のスピードをあげさせた。



「あっぅ、あ、へん、なの」
「変って?」
「へん……っう、あ! 体より、こころ、が気持ちイイ」
「……こんなことされてるって?」
「そう、ッ! そう……あ、あっ」



じゅ、じゅ、と細かな泡を立てながら抽送を続ける。
その動きに、沙紀は面白いほど息を詰まらせ、声を上げ、反応した。



「でも気持ちイイんだろ?」
「んっうんっ、変なのに、神木くんに、されて、るっ、て思うと……!」
「十分だろ、それで。気持ちいいなら」
「でもっ……そんなトコ……ッあ、ふ、気持ちよくていい、のかなッあ!」
「しょうがないだろ。……沙紀が、変態なんだから」
「ぅあ、ンッ!」



苦笑いを含ませた言葉に、沙紀の体がぎくんと固まる。
今日は役目を奪われた膣口から、
こっちも触ってと誘いをかけるようにトロと、愛液が溢れだした。

そして直線的な抜き差しの動作を繰り返していると、
確かにそこは最初の固さを失い、
徐々に柔らかく口を開けてきているようだった。



「沙紀」
「ふ、あ……?」
「誰かさんのお陰で、こっちはだいぶ我慢がきかなくなってる」
「が、我慢って……?」
「一気に増やすぞ、指」
「えっ、……ッ、だ、だめぇ……!」



さすがにもう、限界だと思ってしまった。
沙紀を焦らすような行為がそっくりそのまま、
自身に跳ね返ってきたようなものだ。

きつく締めつけを繰り返すアナルも、
その下で、触れもしていないのに興奮の証を垂れ流す膣口も、
まざまざと眼の前に据え置かれていつまでも耐えられるほど俺は我慢強くない。



「だめじゃないだろ。もっとほぐせってねだれよ。
 じゃないとこんなもん入らないぞ」
「あ、あぅ……」



沙紀はベッドに押し付けた顔を精一杯自分の下半身、つまりは俺の方へと向けた。
その視線の先、恥ずかしく感じてしまう程に興奮に張りつめたペニスが見えたはずだ。



「ぅ、……神木く……指……増やしてぇ、もっと、拡げてっ、それ、入るようにっ」
「ッ…………ああ」



はっ、と興奮をなだめるように吐き出した息に、沙紀は気づいただろうか。

自ら尻を割り開き、変態的な要求を口にし、倒錯した快感に脳を蕩けさせている。

こんな沙紀の姿は、学校の奴らの誰も知らない。
世界中の誰も知らない。
知っているのは俺だけだ。そして、そうさせたのも俺だ、と、
背筋を突き抜ける征服感を伴った悦びにドクリと、血流が疼いた。


一度、熱にふやけた指を抜き、そしてねばつくローションを追加する。
そして、両手の人差し指、爪の表面同士を合わせるような形にして、
再びゆっくりと、その二本の指を沙紀のアナルへと挿入していった。



「あぅっ……! さっき、と、ちが……っ」
「一本増やした。それにこうすれば――」
「アッ……ぅ、あ、ひろがっちゃう! あ、やだ、やだぁっ!」



第二関節程まで埋め込んだ両手の人差し指を、
まるで小さな門を開けるように、ぐぃ、と左右に開いた。

沙紀は感覚で何をされているのか悟ったのだろう。
ぎゅうぎゅうと抵抗するように締め付けるアナルも、
指の、それも男の力に勝てるほど強靭なわけもなく、確実に左右へと拡がっていった。



「いいのか、駄目なのか、どっちだ。自分で拡げろって言っただろ。……痛い?」
「いたくない……けどっ……! あ、ぅ、や、だぁっ」
「嫌なのは、見られるからだろ……?」
「ぅあ、いや、やぁっ!」



分かってる。どうすれば沙紀が羞恥を深めるかは。
ただ、沙紀が冷静なら気づくだろう。
それを見て、その姿を見て、俺が息を荒げ声を掠れさせる程に興奮していることに。



「見える。すごい、粘膜のピンク色。
 沙紀は恥ずかしいとこ全部見られたな。おまんこの中も、尻の中も」
「っ、う、ああ、ぁ」



はあはあと部屋に響く息遣いがどちらのものか、正直もうよく分からない。

俺は、限界だと思うほどまで指先を拡げた。
そしてその隙間を狙うように、右手の残っていた中指と薬指を揃えると、
左手の人差し指を抜くと同時に沙紀のアナルへと埋め込んだ。



「はぁー、ぁ、あぁぁ……」
「沙紀」



ぎちぎちと三本の指を締め付ける感覚はまだ固い。
俺は沙紀に声をかけると、素直に尻を割り開いたままだった掌を掴み、
その右手を沙紀自身の股間へと導き言った。



「このまま……尻に指、突っ込まれたまま、一回イけよ」
「ッ……!」



俺の、態と乱暴に言った言葉と行動の意味が沙紀に伝わった瞬間、ぎゅう、と、
アナルの筋肉が指をひときわ強く締めつけた。
正直な体だな、と内心笑い、そして沙紀の指先を陰芯へと向かわせる。



「どうなってる?」
「ぅ……ぁ、ローション、垂れてる……く、……クリトリス、のとこまで、あぅっ!」
「ローションじゃないだろ、それ」



ぐぢっ、と、叱るように指を突き動かすと、沙紀はくぐもった声を上げた。
躾だ、などと思う自分はもうとっくに、少し違う道を好み始めているのだと自覚する。



「……ッ……ローション、だよ」



そしてあくまで反抗的な沙紀の態度に俺は、く、と喉の奥で笑いを殺した。
沙紀がわざと、反抗的な言葉を選んでいると分かったからだ。



「じゃあ、クリトリスはどうなってる?」
「ッ……! アッ!!」



グッ、グッと指先をアナルへと突き立てる。
もうすぐ来る、本番のために。
そして、沙紀をすみずみまで征服するために。



「勃起して大きくなってるだろ? 沙紀。ほら、答えろよ」
「ア、あっ! ぅ、お、っきく、なって……」
「指で転がして、いつも俺がするみたいに……オナニーする時みたいに、でもいいけど」
「うぁ、っ! ん、は、あっ、やだやだ!」



自分でしろと言った俺の言葉に、沙紀が首を振り恥じらう。
だが俺の手を振り払うでもなく股間へ伸ばされた沙紀の手が、
恥じらいよりも大きな快楽に飲み込まれている事を証明していた。



「口だけ嘘つきだな。ここ、さっきからすごいひくついてる。……イきそうだろ、沙紀」
「ちが、ちがうっ……! っあ、あ、あっ!」



違う、そう言いながら、沙紀の手はもう、俺の手を借りる事無く、
ぐじゅぐじゅと自身の陰核を捏ね回している。
後戻りできない快感に追い立てられ、その手を止める事もできないのだろう。



「手、見てて恥ずかしいくらい激しい」
「いやぁっ……! だ、だめっ……! っは、あ……あ!」
「ああ、もうイクな。すごい締めつけてきた……分かりやすいな、沙紀の体は」
「あぅ、ッ! ひ、あ、あ、っああだめぇ……いっちゃうよぉっ!」



俺の言葉にも、状況にも、直接的な快感にも責められ沙紀が絶頂を予告する。
玉の汗が浮かぶ柔肉の谷間に俺は、乱暴なほど強く、揃えた指を突き入れ言った。



「イったらすぐに、コレ、入れような……?」
「アッあ、ん、あっい、くぅ……いく、ッッは、あ、あぁぁぁぁっ!!」
「ッ……ほんとに……すごい、な……」



沙紀が絶頂を迎えた瞬間、指をぎちぎちと締め付けていたアナルが、
ひくん、ひくんと沙紀の全身に同調するように収縮した。
沙紀は絶頂のたび、これほどまでに全身で快感を感じているのかと感嘆する。

まるで短距離走でもしてきたかというほど荒く、
そしていつ見る時よりも色香の匂いをぷんぷんとさせた沙紀の息遣いに、
俺は沙紀の体を抱きよせ、そして耳元で囁いた。



「終わってないぞ、まだ」
「っ、ふぁ、……きゅ、きゅうけい……っ、は、あ」
「もらってくれるんだろ? 俺の初めて」



絶頂の高みから未だ帰らず、くたぁと脱力した体に
上気した雌の匂いを纏った沙紀を持ち上げ反転させる。
そして自分は仰向けになりベッドへと背を預けると、沙紀に俺の下半身を跨がせ、
いわゆる騎乗位の体勢をとらせた。



「はっ……はあ、ッこの、体勢で、する……の?」
「……沙紀、自分で入れろ。教えろよ、どうやったら沙紀が気持ちいいのか」



沙紀の目が、嘘つき、と訴え、そして紅潮した表情でひとつ、生唾を飲みこむ。
どう動けば沙紀が気持ちいいのかを知るためではなく、
俺がただ、最後の一線を沙紀自らに越えさせようとしている事を、
どうやら沙紀は見抜いている。



「は、はっ……んくっ……いじわる……」
「したくないならいいけど。
 ……その代り、もう我慢できないからな俺も。一人で、自分の手で処理するか」
「…………やだ」



欲しい、欲しいよ、と聞こえてくるようだった。
詰るために言ったつもりが、
詰られるために言わされたような気になるのはどうしてだろう。



「……じゃあ」
「ぅ……神木くんが……どんどん意地悪になる……」
「沙紀がそうさせたんだろ。沙紀はどんどん変態になってるしな」
「……」



しかし、それには沙紀も、言い返す言葉が見つからない様子だった。
そして、秘部同士を密着させたその体勢で、俺のペニスの限界を知った沙紀が、
恐る恐るそのこわばりに手を伸ばした。



「ッ……く」
「か、かみきくん」
「なん、だ」
「なんか……いつもよりおっき……」
「……気のせいだろ」
「…………もらっても、いい……?」
「ああ……自分で入れろ」



沙紀は気づかないのだろうか。
「もらう」と沙紀は言っているが、同時に大事なものを俺に奪われているのだと。
沙紀自ら欲しているという事実が、沙紀の屈服を、心酔を、征服の成果を、
俺に如実に教えてくれている。

それは肉体の快感を超え、はるかに圧倒的な精神的快楽として俺の体に刻まれつつあった。



「い、入れる……ね……」
「……くっ」



その言葉を口にした沙紀が、片手をペニスに添わせ、自身のアナルへと狙いを定める。
粘膜同士が触れ合った瞬間、くぢゅ、と泡立ったローションが音を立てた。



「はっ、あぅ……やっぱり、……指と違いすぎる……っ」



沙紀の体が仰向けになっている俺の体に近づく。
だが腰だけは逃げるように浮いたまま、ペニスはまだ鈴口さえも挿入されていない。



「あんまり……焦らすなよ」
「は、はふ、ぁ、……ッ、あっ、あ!」



俺の胸に手をつき、ゆるゆると揺らされていた沙紀の臀部に手を回す。
ぐいっと自分に向けて押さえ付けてやると、意を決したように沙紀は、ぐ、と腰を落とし始めた。



「あぅ、あっ、きつ、いよ、きつい……っ! はいっちゃ……う、ッ」
「息、止めるな。沙紀……」
「あっ、あぅぅ……っ!」



そう言うと俺は目の前に差し出された二つの膨らみに、両手を食い込ませた。
くに、くに、と優しく弾く様にその先端に指を触れさせると、
沙紀の声質は呆気ない程に、苦しげなものから喘ぎ声へと変わる。



「あ、っあ……かみきくん……ッ、はいってくるぅ……!」
「まだ、カリも通ってない……」
「あ、っ……胸、きもちいい……っ! もっとッ! あ、う、ッッ!」
「ッ……!」



ぎゅ、と乳首を摘まむ指に力を加えると、
それに突き動かされるように沙紀は腰をぐっ、と沈ませ、
そして、最も太いだろう先端が、ぬるんっ、と、その筋肉の輪を通り抜けた。



「ふ、あぁぁッ!」
「く、はッ……、はっ沙、紀」
「あぁぁぁっ、神木くんの、おっきさに拡がっちゃった……」
「ッ……く」



敏感な場所が、沙紀のアナルに擦られ、絞られているような感覚にびくっと
勝手にペニスが跳ねあがる。
すでに見えなくなった鈴口からは先走りの液が沙紀の体内で溢れているだろう。

可愛らしく息づいていたアナルをぎっちりと俺のペニスの太さに拡げられ、
確かに体内へとその先端を埋め込んだ沙紀は、
溜息のような声をあげ、そして、全てを飲み込もうと、さらに腰を落としていった。



「うぁぁあんっ!」
「ッ……キ、ツイな」
「ずるずる……って、……ッ! あ、お尻のナカっあ、ア」



一度その大きさに拡がった沙紀のアナルは、さして苦痛を伴わない様子で、
ずずずず、と、ペニスを飲み込んでいく。
入口だけ恐ろしくきつく、突き当ることのない粘膜。
膣とは全く異なるその感覚が、沙紀のアナルを犯しているのだと思い知らせる。

その精神的な快感は、背徳混じりの、甘美で麻薬的なものだった。
そして、絶えず喘ぎ声を上げ続ける沙紀も、すでにその快感に精神を染められていた。



「入ってる、はいっちゃってる……っ」
「ああ、全部、埋まった」
「はっ、はっ……あ、う……神木くん、神木くんっ……!」
「沙紀。舌出して」
「はっ、はぅん」
「腰は、動かす」
「はぃ……ッ、ふ、ンッ……っあン! んんッ!」



その言葉に素直に従った沙紀が、小さな舌を精一杯突き出し、
その腰をゆるやかに上下し始める。

俺は髪をくしゃくしゃに乱した沙紀の頭をかき抱くと、
突き出された舌に吸いついた。
卑猥な音を立て、沙紀の舌を、唇を、喰うように貪る。

抑えきれない声を漏らしながらも懸命に動かされる沙紀の腰つきは、
嫌というほど焦れていた下半身にとって堪らないものだった。

そして、俺は抽送を繰り返す沙紀の腰がゆるやかに持ち上がった瞬間、
折り曲げ、上に突き立てた指を下半身へと運んだ。

沙紀の腰が上から降ってきたその時、俺の指先は沙紀の膣内へと埋まった。



「ンンンンンッ!? ッ!! っは! ぁッ……!」
「こっちも、欲しいだろっ……?」



ギクンッと、予想外の快感に沙紀の全身が硬直する。
そして俺は、残っていた手で、今度は沙紀の胸、
正確にはその先端ですでに尖っている芽を摘んだ。



「あっ! ン!! アッ! っ!!」
「ほら……沙紀、腰……止まってる」
「あふ、ッ、ンッ……!」
「沙紀……沙紀がイクまで、キス、しようか」



そして俺は、沙紀の快感の出口を全て塞ぐと、
沙紀の動きに同調させるようにして腰を下から突き上げ始めた。

自分の腰の上で沙紀の、大して重たくもない体が跳ねる。
どちらのものとも分からず滴った汗が、二人の肌をより密着させてくれた。

捏ねまわす乳首は充血を増し、力を入れて摘まむたびに、
蜜壺が指を、そしてアナルがペニスを締めつけた。

もはや心ここにあらずの状態に追い込まれた沙紀はただ、
喘ぎ声さえも俺の口に吸い取られ、
半開きになったその唇からはつぅ、と唾液が溢れ俺の咥内へと流れてくる。

眉間に皺を寄せたその表情も、固く瞑られた瞼も、
沙紀の体が、確実に快感で満たされている事を俺に教えてくれた。

そしてその、蟲惑的な二つの穴が、ひくひくと収縮を始めたとき、
俺は沙紀にとどめを刺すため、親指を、二人の体の間に隠れている、
沙紀の肉芽にぞろりと撫でつけた。



「ひゃうっっっ!!」
「ぅあっ!」



自分のやったことの反動とはいえ、その強烈な締め付けに、
声を抑えることもできず、俺は突き上げる腰を加速させた。
思わぬ鋭い快感に沙紀は顔を離し、悲鳴を上げる。

二人の繋がる下半身ではもう、
容器から出されたローションよりも遥かに多い量の粘液が
ぐぢゃぐぢゃと密着しては糸を引きを繰り返している。



「だ、だめぇっ!! いっちゃ、いっちゃうよぉっ! それ、ッッ!」
「イけよ……、このまま……出してやるから……っ」
「やっ! やだぁッあ、アア!!」
「ナカに……出されるのが?」
「ちがッ、いっちゃう、のが……! あ、ぁ! 恥ずかしい……の!」
「だから、しょうがないだろ……っ」



気が付けばもう、沙紀の腰の動きも、沙紀の全身を突き上げる俺の動きも、
ぱんぱんと肉のぶつかり合う音が響くほどに激しく遠慮のないものになっていた。



「沙紀が……俺も、こういうのが好きなんだから……っ、は、沙紀……!」
「あン! 神木くっ……ちょうだいっ! ちょうだい!」



俺は乳房を弄んでいた手を沙紀の腰にまわした。
その動作で俺の果てる予感を感じ取った沙紀が、あられもない要求を口にし、俺をさらに追い込む。



「神木くんのっ……精液、お尻のなか! 欲しいよぉっ……!」
「ああ、やるよ、全部……!」
「わたしもッいっちゃ、うからぁッ! だめ、あ……、いく、イ――ッ」
「沙紀……っ」
「ンッ!! ンンン――!!」



最後の最後、俺の呼ぶ声に沙紀は顔を落とし、俺の唇にキスをした。
そして、その柔らかく熱い咥内に突き入れた舌を互いに絡ませた時、
俺と沙紀は同時に果てた。

何度も脈打つペニスは、そのたびに沙紀のアナルの筋肉に締め付けられ、
無理矢理に注ぎ込んでいるようだと錯覚させられた。

そして体内に精を注ぎこまれた沙紀は、ちゅる……と柔らかく舌を抜き去るまで、
ゆうに数分間、荒い息とひくつく体を持て余しながら俺の体の上でくったりと力を失っていた。







ようやく沙紀の息が整い、その体から余韻の一端が抜け去った頃にはもう、
窓の外はとっぷりと暗く、目をこらさなければ壁に掛けた時計の文字さえ見えない程になっていた。

薄ぼんやりと見える時針は七時過ぎを示している。

体力全てを使い果たした風の沙紀は俺の肩の上に頭を乗せ、
けれど充足した幸せそうな声で、もう帰んなきゃね、と言った。

だが俺は、その声をそのまま素直に受け止める事も出来ないまま、
重い口を開いた。



「……沙紀」
「ん?」



逢瀬の終わりにこんな事を言おうとするなんて子供過ぎると思いつつも、
どうしても聞いておきたい事が俺にはあった。



「結局……あれは告白されてたのか?」



女々しさと情けなさに沙紀の方を見る事も出来ずにそう尋ねる。

もうあと数秒でも沈黙が続いていたとしたら、
俺は「いや、やっぱり忘れてくれ」と言っていたに違いない。

それほどまでに、尋ねる前の数秒、いや、もしかしたらあの一件を目撃してからずっと、
聞こうか聞くまいか、その葛藤に苦しんでいた気がする。



「んー……。……あのね……?」



俺の方へ顔を向け、しばらく思案するような声を出していた沙紀が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。



「私、明くんが大好き。ほんとに……大好きだよ」



ぎゅう、と、心臓に痛みが走った。

初めて呼ばれた下の名前に、予想外の言葉に、そして、
沙紀の方へと顔を向けた俺と目を合わせ、くしゅっ、と愛らしく微笑んだその表情に、
俺はたわいもなくどきんと心臓を掴まれてしまった。



「へへ、告白しちゃった」



やられた、と思う。

そんな事を言われてしまったらもう二度とこの話は出来ない。
だがくすぶるように胸の内に沈んでいた黒い澱はふわりと浮かび、どこかに溶けていった気がする。


一つ確実に分かった事は、沙紀を誰かに奪われるなど考えたくもないという事だった。

煮えたぎるような感情が自分の恋に伴うとしても、それが自分の独占欲の強さゆえだとしても、
それでも、手放せないものがあるのだと。



「っく、くるしいよー」



どこにも行ってしまわぬよう、ぎゅうっと、沙紀の体を抱きしめると、
苦しげな声をあげながらも沙紀は笑った。

こんな時でも、こんな時だからこそ、何も言えないものなのかと、
自分に呆れ果てながら俺は、沙紀の体を更に強く抱きしめたのだった。







後日――。



「間宮、そういえば例のアレ、うまくいった?」



休憩時間、沙紀と週末の相談をしていると、巳古が俺達のそばへ来て言った。

何のことだと沙紀を見る。
巳古の問いにさっと頬を赤くした沙紀は、一瞬ちらりと俺を見やった後に口を開いた。



「合格点だよ。巳古先生」
「おぉ、よくできました」
「なんだ?」



沙紀は巳古の手でガシガシと頭を撫でられ、大げさなほど体が揺れている。
いったい何の話か見当もつかず尋ねた俺に、巳古は訳知り顔で笑った。



「仲良き事は美しき哉……だな!」
「武者小路?」
「そそ、実篤」
「意外だな。巳古の口からそんな名前が出るなんて」



巳古のセリフに沙紀がその姓を答えると、巳古もそれに呼応する。
エロ本しか見ないんじゃなかったか? とも思いつつ、
訳知り顔への対抗の意を含めて俺は言った。



「あのね。一応このクラス、特進でしょうが。俺もその一員ですけど?」
「まあ……そうなんだけど。いまでも瞬時には納得できない」



巳古の言うとおり、このクラスはいわゆる学力上位、
つまり確実に進学できるだろう生徒を集めたクラスだ。

新入生はワイワイと楽しく。
そして進級すると学力別に分けられ、そのクラスのまま受験へと突入する。
大事な受験生の年は人間関係を一から構築するよりも、勉学に励め、ということだろう。

正直なところ、巳古がクラスメイトとなった時には意外としか思わなかったが。



「ふふっ。でも嬉しいね、もうクラス替えもないから最後までみんなと一緒」
「……嬉しい、ねぇ」
「嬉しいよねぇ? 真知ちゃんも一緒だし」
「くく、間宮。まだあの事、室瀬には内緒な? もうちょっとからかって遊ぶから」
「うーん……。ちょっと責任感じるから……ほどほどでお願いします」
「はいはい、分かってるよ。ほんとに嫌そうならやめるし」



そう笑って巳古は、一人席で教科書を準備している室瀬の所へと向かって行った。
おそらく数秒後には、室瀬の羞恥混じりの悲痛な声が教室に木霊するだろう。



「で、結局なんだったんだ? 例のアレって」



そう尋ねた俺に、沙紀はにんまり、秘密を打ち明ける子供のような顔をして呟いた。



「……ほんとはね、ちょっとだけ、巳古くんにも相談しちゃったんだ」
「……何を?」
「んー、いろいろ。秘訣を伝授してもらった」
「……」



相談内容はあの中庭の一件とその後の事には違いないだろう。

沙紀がその秘訣に従ったとして、それは、どの部分に反映されたのかとこの数日に記憶を巡らせる。

ふふふ、と口に掌を当て笑みを浮かべる沙紀の表情は、どこか楽しんでいるようで、
けれど決して口は割らないぞというポーズにも見えた。

今回の事に関して自分の推測は間違っていないと思っていた。
だがどうやら、明かしては貰えないどこかに、重大な勘違いが含まれているようだった。



「もう受験生になっちゃうんだねぇ」



すると、窓の桟に手をかけ、中庭を眺めていた沙紀が感慨深げな声を出し言った。
やまびこのように校舎のあちらこちらから、生徒の笑い声が反響して聞こえてくる。

今度の事でなにか勘違いをしていたとしても、もう過ぎたことだな、と、
一人納得せざるを得ず、俺は沙紀の話題に答えた。



「……ああ、そうだな」
「勉強しなきゃなのはちょっと憂鬱だけど……楽しみだね、また同じクラス」
「だな」



もう目の前には春休みが迫っている。
夏休みよりもはるかに短いそれが終わってしまえば、あっという間に俺達は受験生だ。



「あ! 神木くん見て、桜の花芽。だいぶ枝先のピンク、濃くなった気がする」



――そうか、もうあと一年で卒業か。



二階の教室から見える窓の外、ちょうど目線の位置にある桜の枝。

沙紀は微笑み、楽しげに窓を開け、到底届きそうもないその枝へ手を伸ばそうか迷っている。

日中の陽ざしに暖められた風がふわりと、教室の簡素な白いカーテンを揺らし、
休憩時間の談笑に満ちた教室の中を駆け抜けた。



指差そうと伸ばされた沙紀の指先のさらに向こう、枝の先端。

その蕾は流れる日ごとに膨らみを増し、確実な春の訪れを俺に知らせているように感じた。



あとがきへ

目次へ戻る




copyright © 2008- かのこ All Right Reserved

inserted by FC2 system