知らないままで

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俺には秘密がある。
誰にも、特にあいつにだけは、決して知られるわけにいかない秘密が。



夜十一時半。


ベッド脇に置いたデジタル時計の時刻を確かめると、俺は部屋の灯りを消した。

暗闇に包まれた部屋の中には一筋だけ、
カーテンの隙間から漏れてきた月の光が射している。

小さく溜息を吐くと、わずかに開かれたその隙間からそっと外の様子を窺った。


窓の外には、手をうんと伸ばせば届きそうな距離に隣家の壁が迫っている。

肩をすぼませるようにして家屋が立ち並ぶこの古い住宅街では、
家と家との間隔がひどく狭い。

俺の自宅と隣家もまた、その気になれば二階にあるベランダ越しに行き来ができる。

幼いころはよく、その谷を飛び越えて遊んでいた。
危ないと親に叱られているうちに、それに歳を重ねて遊び方が変わってからは、
そんな冒険をすることもなくなったけれど。


家同士が近いことへのせめてもの配慮か、壁面にある互いの窓は離れている。

けれどそれもほんの一メートルほど横にずらされているだけで、
覗けばすぐに向かいの窓が見えた。

そして、その室内までも。


斜め前の窓はカーテンが半分開けられていて、窓ガラスの向こうに、
月明かりに照らされた室内が薄ぼんやりと見える。

そこは、生まれた時から隣に住む幼馴染みのあいつの部屋だった。


俺は自室のカーテンの隙間から、息を殺して目をこらす。
もう一度、時刻を確かめようとした時、暗かった一室にぱっと灯りが点いた。

夜の闇に放たれた暖色系の光から逃げるように、俺は窓から少し離れる。
それでもなお、目は逸らさない。

限られた視界の中、室内の様子をうかがう。

窓の端に見えるのは、あいつが小学校の時から使っている学習机だ。
教科書や参考書の並ぶ本棚もちらりと見える。

ここからなによりよく見えるのは、オフピンクのカバーが掛けられたベッドだった。


ドアが開いて、あいつが中に入ってくる。
もう風呂にも入り、あとは寝るだけといったところだろう。
パジャマに薄手のカーディガンを羽織っていて、
学校で見るのとは違う、リラックスしたような雰囲気がある。

明日の準備でもしているようで、彼女の姿は窓枠の中を何度も横切る。

その無防備な様子に、俺は内心、舌打ちをした。



――誰かに見られたら危ない、なんて考えもしないんだろうな。



あいつのことだ。

きっと、ベランダ側のカーテンまで開けっぱなしではないだろうか。
だとすると彼女の姿は、家の前を歩く通行人にも見えているかも知れない。

心配にも似た苛立ちを感じて、すぐさま俺は自嘲した。



――いや、見てんのは俺か。……最低だよな。



いつからか日課になってしまった行為。
俺は、隣のあいつの部屋を覗き続けている。



俺とあいつは、世間で言うところの幼馴染みだ。

家が隣の同い歳という条件にぴったりあてはまっていただけで、
俺たちは物心ついたときからすでに、幼馴染みだった。

いまになって思えば、その関係は呪縛によく似ていた。
いつまでもつきまとう、壊しがたい、型枠のようなもの。

俺にとってその"幼馴染み"という型は驚くほど心地よくて、
不思議な安心感をもたらしてくれるものだった。

この関係は目に見えない繋がりで守られている。
永遠に途絶えない。決して疎遠にもならない。
友情とはまた一線を画した、特別な関係。

けれどある時、俺は自らの本当の気持ちに気づき、
そして、強烈な不安に襲われることになる。



――ふたりの関係を壊すのが、怖い。



この関係を投げ打ってでも告白をし、想いを遂げたいか。
答えはノーだった。

なのに俺は、あいつを諦めることもできずにいる。

それどころか時間を追うごとに恋情はどんどん膨れていき、
もう自分のものとは思えないほど、コントロールが利かないものになっている。



――怖い。全部、壊してしまいそうで。



初めて"見てしまった"時の衝撃は忘れない。

俺はそれまでにも寝る前によく、何の気なしに彼女の部屋へと目を向けることがあった。
あいつはまだ起きているのか。もう寝たのかと、
ただそれだけを思うだけだった情けない日課は、その夜を境に色を変えた。

いつもは閉め切られていたあいつの部屋のカーテンが、半分開いていた夜。

あいつは灯りを点けたままの部屋でパジャマに手を潜らせると、そっと自らの胸を揉み始めた。
驚いて呼吸さえ忘れた俺が、すぐ向かいの窓から見ているとも知らずに。

たった二枚のガラス越しに、あいつの姿があった。
ベッドに腰掛けたまま胸に触れ、切なげに眉をたわめているのが見えた。

欲しいと願ってやまない女の、自らを慰める姿。

聞こえるはずのない吐息を耳元に感じると、俺は激しい罪悪感を胸の奥に押しやって、
たぎる興奮を宥めるように浅ましく手淫に耽った。――それが始まりだった。


欲望の塊を放つと、仕舞いこんでいた罪悪感は何倍にもなって戻ってくる。

だから俺はますます本心を隠すようになった。
ただの友達としての顔を無理に作って、なにごともなかったかのようにあいつと喋る。
想いを告げるきっかけはもう、とっくに見失っている。



どうやら翌日の準備を終えたらしい。
視線の先で、あいつはベッドに腰掛けるとカーディガンを脱ぎ始めた。

そのまま眠ることも多い彼女が、ちらりと窓の方に目をやる。


それは、あいつが自慰を始める前に決まってする仕草だった。


窓の向こうに見えるあいつは、一瞬ためらうようにパジャマの裾を握りしめ、
そしておずおずと片手を胸に乗せた。

彼女はいつも、こうして灯りを点けカーテンを開けたまま自慰に耽る。
まるで誰かに見られることを期待しているとでも言いたげに。
それを――露出癖とでもいえばいいのか。

あいつは時折、ちらちらと窓に視線を向ける。
うっとりとして、興奮を新たにしているように見える。

道行く人間に見られるかも、とでも思っているのかも知れない。

薄く開かれたあの唇からは、きっと羞恥に彩られた吐息が零れているのだろう。
かすかに喘いでいるのが、こちらからもよく見えた。

にわかに血流が沸き始め、
高まりは下半身に集まって、そこを硬くする。

俺はトランクスをずらすと、勃起したこわばりに指を回した。



「ッ……」



這わせた手を動かすと、ぬるりと絡みつくような快感が襲ってくる。
あいつはパジャマの裾から手を潜らせ、直接その膨らみを揉み始めていた。

布地の下で、手はもぞもぞと妖しく蠢いている。
先端でも摘まんでいるのか、
パジャマが丸められた手の形に盛り上がると、彼女は体をぴくりと跳ねさせた。

あいつはまるで、何かを耐えるように俯き加減になりながら、
胸から離した片手をそろそろとズボンの中に入れた。。



「く……っ……」



淫らな光景に煽られる。


もしもあいつが知ったら、どう思うだろうか。


俺が暗がりに息を潜め、自慰を覗き続けていること。
想像の中で、何度も彼女を蹂躙していること。

俺は、たったいま彼女の秘部に触れているだろう指が、
たとえば自分のものだとしたらと夢想する。

泣き叫ばれたとしても構わない。
押さえつけ、無理矢理にでも犯したい。
指でなぶったそこに、このペニスを埋めたい。

劣情に理性を焦がされておかしくなりそうだった。
いや、もしかしたらもう遅いかも知れない。
どこからおかしなことなのかも、俺にはもうよくわからない。


ズボンに忍ばせた手で敏感な場所にでも触れたのか、
あいつの体がびくんと硬直する。

ぎこちなく、けれど正確に快楽を紡ごうとしているその動き。
遠目にも彼女の頬が赤く染まっているのが見えた。

ちろりと唇を舐めたあいつは、再び視線を窓に向ける。
そしておもむろに、パジャマのボタンに手をかけた。



「……なに、を」



それは、初めて見る行動だった。

襟元にあった手が、ぷち、ぷち、とボタンを外していく。
ゆっくりとしていても、ボタンの数は多くない。
あっという間に全て外されると、はだけた隙間からは豊かな胸の谷間が見えた。



「やりすぎ……だろ……っ」



届きもしない警告を口にする。

俺は思わず通行人がいないかを確かめながら、
彼女の淫らさに、激しい興奮と、大きな不安を覚える。

少し前まで、あいつにこんな一面があることなんて知りもしなかった。
色恋に疎いやつだとさえ思っていた。

けれど違った。

俺たちはいつまでも子どもじゃない。
そう思い知らされるには十分だった。

あいつもいつか、誰かの彼女になる日が来るのだろうか。
そしてその時あいつは、こんな淫らさを隠すだろうか。

それとも、教えてしまうのか。

もし男がそれを知ればどうするかを、俺はたぶん、誰よりよくわかっている。


彼女はその場にゆっくりと立ち上がると、こともあろうか身に着けていたズボンを脱ぎ捨てた。

素肌を晒した真っ白な脚が、すらりと伸びている。
彼女の体を隠しているのは、小さな下着と肌蹴たシャツだけ。



――やばい。



ギリギリの理性が警鐘を鳴らす。

劣情で沸騰した頭はすでに、
どうやってあいつの部屋に忍び込むかと、そんなことを計算し始めていた。

子どものころはいつもしていたこと。
ベランダに出て、柵を跨ぐ。屋根に足を下ろし、隣の屋根に。

いまなら一歩踏み出せば、その距離は簡単に飛び越えられる。

もしも鍵がかかっていたとしても、俺の姿を見ればきっとあいつは窓を開ける。

それから、戸惑いつつ緊張するだろうあいつに言えばいい。
何をしていたんだ、と。

否定する彼女をあのベッドに押し倒して、いっそ脅してしまえばいい。

真面目で優秀だと周囲からもてはやされているお前が、
まさかこんなにもいやらしいやつだったなんて。
ほら、部屋の中にまだ発情した匂いが籠ってる。
さっきまで胸を肌蹴させていたじゃないか。ああここにも、名残りが――。


そうだ。
そうすればきっと、欲しくて欲しくて堪らないあいつが手に入る。


卑劣な妄想を助長させるとは知らず、あいつは露わになった胸に再び手を這わせる。
乳首に触れ、可憐なショーツの中に手を入れた。

彼女はきゅっと瞼を閉じ、快感に眉をたわめた。


ショーツに隠れた右手がせわしなく動かされ始めたのを目にした時、
俺の中で何かが弾けた。




  *  *  *




私には秘密がある。
きっと、彼には知られないままでいたほうがいい、秘密が。



夜十一時半。



リビングにある壁掛け時計を見て、私は自室へ向かう階段をあがった。

真面目すぎると友だちには笑われるけれど、私はだいたいいつも同じ時間に食事を済ませ、
少しだけテレビを観て本を読み、そしてお風呂に入って眠りにつく。

規則正しい生活を心掛けているというよりは、むしろ習慣に近い。



――それに……ほんとの私は少しも真面目じゃない。



部屋のドアを開け、壁際のスイッチを押して照明を点ける。

室内に入ると一息つく前に、本棚の中から明日の授業で必要な教科書や参考書を抜き取った。
帰宅してすぐに終わらせておいた宿題は学習机の上だ。
どちらも鞄に入れて、私はふと目をさまよわせる。



――……今日、しちゃおうかな……。



半分だけカーテンを開けている窓から、月明かりに照らされた外を見る。
斜め前にあるのは隣に住む、幼馴染みの部屋の窓だ。

もう彼は寝ただろうか。
部屋は真っ暗で、そのうえカーテンも閉められていて、中をうかがい知ることはできない。

鼓動を速めつつある心臓をなだめながら、私はベッドに腰を下ろした。

季節はもう春とはいえ、まだ少し肌寒くて羽織っていたカーディガンを脱いで枕元に置く。



「は…………」



自ずと溜息に似た息を吐く。
けれどそれは、すでに少し熱を宿している。

もう一度だけ窓の外に視線を向けたものの、
そこには動くものも人の気配も、何もないように感じた。


思わず唇を軽く舐めた私は、パジャマの上から胸に触れた。

高校生になってどんどん膨らみを増すそこは、自分で触れても不思議なほど柔らかく、
力を入れると指は肌に沈む。

とはいえ、柔らかさを楽しんでいるだけでは気持ちよさは訪れない。
私はよりたしかな快感を求めて、力加減を調節する。



「ふ……ぅん……、ぁ……」



布地の向こうに、ぷくんと小さなしこりが触れた。

手のひらを押しつけてそこにあてる。
ぴりぴりとした痺れが、ぞくりとする鳥肌とともに全身に伝う。

刺激をもっと強いものにしたくて、私はシャツの裾から中に手を潜らせた。

少し冷えた指先を肌に沿わせる。
柔肉の丘をなぞって頂上にたどりつくと、その先端はもう恥ずかしいほど
硬く尖りを増していた。

私は指先で小さな蕾を弾き、軽く摘まむ。



「ぁ……っん……!」



体内深くをえぐられるような感覚がする。

漏れ出た自分自身の喘ぎ声に性感を煽られながら、
疼き始めた秘部に触れようと、ズボンの中にも手を入れた。



「は……っぁ……ん、ン…………っ」



ショーツの布地は、すでにしんなりと湿り気を帯びていた。
きっと汗だってかいている。
だからなにも、濡れているだけとは限らない。

それでも私の体はひどく淫らだ。
じかに触れば、きっともう濡れているだろう。

気がついた時には、私の体はこんなにいやらしいものになっていた。

処女の自分が自慰でこんなに感じてしまうのはおかしい気がする。
そう思い悩んだこともある。
けれど、どうしても感じてしまうのだ。



――だって……見られてるから……。



口内に溜まった唾液で乾いた喉を潤して、私は再び窓の外に視線を向ける。

月明かりに浮かぶ、幼馴染みの部屋の窓。
閉められたカーテンの端にある、ほんのわずかな隙間。


私がこんなことを始めたのは、忘れもしない、二月十四日の夜だった。

ベランダ側のカーテンをぴっちりと閉めて、もう片方の窓のカーテンを半分開ける。

もしかしたら道行く人からも見えるのではないか。
そう思うと不安で怖くてどうしようもなかったけれど、
それでも試さずにはいられないほど、その時の私は切羽詰まってた。


あの日、私は彼と些細なきっかけから軽い口喧嘩をした。
彼からあまりに女の子扱いされていないことに腹が立って、
悲しくなって、つい八つ当たりをした結果だった。

家の前で別れる直前、私は精一杯の勇気を振り絞って彼に言った。



「ねえ。私だって一応、女なんだけど」
「……何、いきなり。お前に女は感じないって。だって、幼馴染みだし」



笑いながらそっぽを向いて言われた時、私はかつてない衝動にかられた。




――この関係を壊してしまいたい。



彼のその何気ない一言が、ただの軽口だと言うことはわかっていた。
茶化して喧嘩を終わらせようとするいつもの手口。

普段なら何も気にはしなかったかも知れない。

けれどその日はバレンタインで、彼は何人かの女の子に呼び出されていた。
そして私の鞄の中に残っていたのは、ついに渡せないまま教科書に潰されたチョコの箱。


私はどうしても、彼に知って欲しかった。
私はもう女だよ。恋をして、あなたを男として見ているよ。



初めて"見つけてしまった"時の感動は忘れない。

月明かりが、あなたの部屋の窓に人影を浮かび上がらせた夜。
ほんの少しだけあけられた、カーテン隙間。
小刻みにシルエットが揺れるのは、何をしているから?

毎晩のように私を見ながら慰めてるその欲情を、
その濃度のまま私にぶつけてもらいたい。
そして他の誰にも絶対にあげたくない、私の初めてを奪って欲しい。


もう一度、視線を向けた先で、
窓が閉まっているはずの彼の部屋のカーテンが、ふわりと揺れた。



――だから私が先に……この関係を壊すね……。



私はかすかに震えながら、シャツの襟に触れた。
何かにせかされるように呼吸を速め、一つ、また一つとボタンを外す。
最後の一つをボタンホールから外すころには、指先まで痺れたように緊張していた。

ほんの少しだけためらって、すぐにその場に立ち上がる。
酩酊したような気分を味わいながら、パジャマのズボンを一息で脱いだ。

もしかしたら私の体からは湯気が立っているかも知れない。
熱く火照った全身が、寒さとは別の理由で粟立つ。

心なしか前屈みになって再びベッドに腰掛けると、
私はゆっくりと両膝の間隔を大きく開いた。



「ふ……っ、……あ……っ」



私ははしたなく尖った乳首に指を乗せ、もう片方の手を下半身に伸ばす。
ショーツの中に忍ばせた指はすぐ、柔毛の向こうにぬかるみを見つけた。

しどけなく溢れた蜜を掬い、硬くなった花芽に塗りたくる。
じりじりと焼けるような陶酔は全身を駆け廻り、まだ指さえ入れたことのない最奥を疼かせた。

見られているかもしれない。
その羞恥は愉悦を加速させ、自身に触れる手を自ずと無遠慮で卑猥なものに変えた。



「ふ……あっ……! あぁっ……おと……でちゃう……っ」



耳に、衣擦れと濡れた音が届く。
くちゅくちゅと泡立てられているような音は、何よりも興奮の証だった。

頬を紅潮させながらも、私は手を止めない。



「あっ……! クリトリス……気持ちイイよぉ……っ! あっ……ちくび……もっ……!」



わざと猥雑な言葉を口にする。
そうすれば昂りはより強く、深いものになると知っているからだ。



「ナカが……切ない……。んっあ……! ぁぁっ……!!」



じっとりと汗ばんだ素肌に、ちりちりと殺気立った視線を感じる気がした。
脚を閉じてしまいたいのを堪え、手を動かす。

少しも真面目じゃない淫らな私を、彼に見せつけるように。



――ちゃんと……見てる……?



「っあ……! ンン……っっ! 気持ちいぃ……きもちい……っ……!」



――あなたに抱かれることを想像しながらイッちゃうところ……見て……?



「ふぁあぁああっ……! いく……!! いく……っ!!」



絶頂にわなないた体はびくびくと震えを繰り返す。
手のひらは溢れた愛液で、肌蹴た胸元は汗でぐっしょりと濡れていた。



――……壊しにきて。鍵は、もうずっと……開いてるから。



その時、閉じられていた窓が小さな音を立てて開いた。

さあっ、と吹きこんだ夜風はほんの少し肌寒く、そしてうっすら春の匂いを纏っていた。



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