夢の中

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――小糸山には、願いごとを叶えてくれる神様がいるんだよ。



教えてくれたのはお母さんだった。

それはこの町のみんなが一度は耳にする、お伽話のようなもの。
流れ星にお願いをするのと同じ、おまじないのようなものだと思った。

だけどお母さんは、まるでつい最近、本当に起きたことを話すみたいに私に教えてくれた。


お砂糖が零れたような満天の星空に浮かぶ、真珠よりも煌めく満月。
囁き合う木々の葉の声。
絹ほど滑らかな滝が注ぐ、鏡みたいに輝く泉。
永く生きた樫の木が見守るその場所で、お母さんもお願いごとをしたんだよ――と。


いつもだったら適当に聞き流していたと思う。
けれどお母さんの瞳が、なんだか小さな子みたいにキラキラしていて、
そのうえ、教えてくれた方法が少し具体的だったから、最後までちゃんと聞いたのを覚えてる。

ただお母さんが何をお願いしたのかは、
結局最後まで、「内緒」と言って、教えてはくれなかったけれど。


あれから一年が経った。
神様のことを教えてくれたお母さんは、とっくの昔に死んじゃった。



神様……。



ぽつりと呟いて、遮るもののない夜空を見上げる。

ほんの少しだけ端が欠けていて、
明日には満月になりそうな月を眺めて、私はコンクリートの塀から飛び降りた。







あの人に出会ったのは、夏生まれの私にとって最初の春だった。

熱病にかかったみたいに体中が疼いて仕方のない季節。
新しい命を作るために、町中の子たちが色めき立つ中で、私は必死にそれを堪えていた。

初めての恋は素敵なものがいい。
だから私は出会いを求めて、町の中をあてもなく彷徨う毎日を送っていた。


歩き疲れて、人気のない駐車場でひと眠りする。
するとその時、私はいきなり現れた高校生くらいの男の子に首根っこを掴まれた。
そのまま、近くの原っぱに引きずり込まれる。

恐怖で身がすくみ、全身の毛が逆立つ。
抵抗する爪も空を切り、叫び声は誰にも届かない。

男の子は歪んだ顔に気味の悪い笑顔を貼りつかせながら、
鞄からカッターナイフを取り出した。

殺される――。

必死に暴れる私を押さえつけながら、
男の子は震える手で刃を出した。


じくり。

切っ先がお腹の皮膚をわずかに割いた瞬間、私たちのすぐ後ろから低くて大きな声がした。



「なにしてんだ!」



ガサガサと草を踏む音が聞こえ、男の子を隠すくらい大きな影が現れた。
男の子は、びくん! と飛び跳ねて、そのまま何も言わず走り去っていく。

後に残された私は、全身の震えを止めることができずにいた。

お腹が痛い。焼けるように痛い。怖い。
何もしていないのに、どうしていきなりこんな目に遭わされたんだろう。
生まれて初めて、人間が怖いと思う。

視界に現れた男の手は、私の頭をすっぽりと覆ってしまうほどに大きかった。
その気になれば、私の命なんてひとひねりで潰せてしまうだろう。
恐ろしくて身動き一つできない。

きっと私は死んじゃうんだ。
そう諦めかけた時、男はさっきとは別人みたいな優しい声で私に話しかけてきた。



「大丈夫か、おまえ」



低い声が耳に響く。
解けない恐怖に背を強張らせて精一杯威嚇する私に、男は手を伸ばす。



やだ!



咄嗟に出した爪が、男の皮膚に赤い筋を作った。
顔がしかめられたのを見て、私はひどく後悔する。
余計なことなんてしないで逃げてしまえばよかった。

再び手を伸ばされて、私は暴力の予感に耳を伏せ体を縮めた。

けれど男は私の頭を、そうっと指先で撫でた。



「……あんな人間が本当にいるんだな……。
 代わりに謝るよ。ごめんな。怪我はしてないのか?」



恐る恐る目を開ける。
すると大きくて逞しい体に不釣り合いなほど、優しい瞳と目が合った。



「あ! おまえ、血が出てるじゃないか」



男の顔が悲痛に歪む。
痛いのは私なのに、彼の顔はまるで自分が傷つけられたみたいに泣きそうなものだった。

彼は私の体をひょいと片手で抱き上げると、そのまま病院までの道を走る。

彼――さとるはその間、もう大丈夫だよと何度も言いながら、
震える私を撫でつづけてくれていた。







それから、私はさとるの部屋に居候として厄介になることになった。

お腹の傷は、引き攣れたような痕は残ったけれど治った。
心に刻まれた恐怖も、さとるの優しさですぐに癒えた。

そのうえ彼は私に「りん」という素晴らしい名前まで与えてくれた。

生まれて初めて味わう、温かい羽毛の布団にもぐりこむ幸せ。
毎日もらえる、栄養たっぷりのカリカリご飯。
なにもかもが満たされた生活。

私はすっかり、さとるのことが大好きになっていた。


ただ、ひと月に一度のお風呂と、
週末ごと、さとるの彼女という人間が来るときだけは、嫌な気分になった。


さとるは彼女の名前を呼ぶときだけ、
いつもと違う――私を呼ぶ時とは違う、嬉しそうな声を使う。
まるで春に、みんなが愛を囁くときと同じような声だ。


いつも私が寝ているベッドで裸になって絡み合うふたりを、
私は物陰から息をひそめてうかがう。

あれが人間の交尾。なら、ふたりは番いなのかな。

私の初恋が邪魔をする隙間なんてどこにもないのは知ってる。
だって、私は人間じゃないもの。


だけど私はそれでも良かった。

喉を撫でてくれる手の優しさも、朝を知らせるために鼻の頭を舐めた時のくすぐったそうな顔も、
寒い夜にベッドにもぐった私を潰さないように、丸く抱きかかえてくれることも、
きっと彼女は知らない。

誰よりもさとるのそばにいられるのは、私なのだから。
だからこれでいい。このままでいい。



けれどそんなささやかな毎日をすごしていたある夜、珍しく平日に彼女が部屋を訪れた。

言葉少なに、緊迫した空気が漂っている。
しばらくして、かちゃりと音を立てて鍵がテーブルに置かれた。
さとるはベッドに腰掛けたまま、ぴくりとも動かない。



「さようなら」



彼女はきっぱりと告げ、部屋を後にした。
バタンと閉まったドアの向こうに、コツコツと靴の音が遠ざかる。

いつからか彼女がよくはくようになった、高めのヒールの音はよく響く。
いつからか彼女が変えた香水の匂いは、長く部屋に残る。

そして私の耳にも靴音が全く聞こえなくなったころ、
さとるはどさっと仰向けのままベッドに寝転げた。

一体、どうしたというのだろう。
さようなら、って、彼女はもうここには来ないってこと?

どうして? さとるはあんなに、彼女を愛していたのに。


わけもわからず、彼のいるベッドに上がる。

さとるは目に腕をあてたまま、じっとして動かない。



ねえ、どうしたの?



私の声にも反応はない。
さとるの横に腰を下ろして見守っていると、
腕に隠れていた彼の瞼の隙間から、涙が零れ落ちるのが見えた。



「……好きな人ができた……か」



唇をかすかに震わせて、彼は呟く。
私は涙の雫を舌で受け止めた。



「……あのお姉ちゃんな、他に好きな人ができたんだそうだ。その意味、わかるか……?」
……うん、わかる。わかるけど……でもさ、さとるには私がいるから大丈夫だよ!
「なんてな、お前に言ってもなあ」



さとるはうつ伏せになって、布団に顔を押しつけたまま黙り込んでしまう。



ねえさとる。落ち込まないで……。元気出して。ねえ、笑って……?



私がいくら呼びかけても、彼はもう答えてはくれなかった。


私は自分にイライラしていた。
どんなに言葉を絞り出そうとしても、私の声は鳴き声にしかならない。
苦しんでいる彼を励ますこともできない。
慰めることも、応援することも、なにもできない。

私はこのまま、にゃあにゃあと鳴き喚くだけで一生を終える。
さとるに何をしてあげることもできないまま、
彼の何倍も何十倍も速く年老いて死ぬ。

それは背筋が凍りそうなほど恐ろしいことだった。


なんとかしたい。けれど、そんな方法なんて――。


その時、私はお母さんがしてくれた昔話を思い出した。

私はすぐさま心を決める。
彼に元気になって欲しい、ただその一心で。







窓の隙間から外に飛び出すと、小糸山を目指してまっすぐ北に向う。
出発したのは夜だったのに、到着したのもまた夜だった。


雲一つない見事な満月の夜。
私はお母さんから教えられた記憶を頼りに、糸瀧神社の鳥居をくぐる。

気が遠くなるほど長い石の階段を昇り、境内の脇にある小道に入る。
人間だったら通れないほど、狭くて草の生い茂るけもの道。
その先は林の中に吸い込まれるように消えていて、いきつく先は全く見えない。

本当に、辿りつくのだろうか。

どれくらい歩いたかもわからないほど時間が経ったころ、
ようやく耳に、かすかな水のせせらぎの音が届いた。

はやる気持ちで自然とかけ足になる。

そのうち水の湿った匂いがしてくると、急に目の前がさあっとひらけた。


丸い広場みたいな場所に、月明かりに照らされて銀盤のように光る泉。
間違いない。お母さんの言っていた場所だ。

大きくて、てっぺんが見えないくらい高い樫の木が見守っている、小さな滝のある泉。

私は泉に駆け寄る。

たたえられた水は澄んでいて、清らかな透明さがある。
それなのに月光が眩しいほど反射していて、底は少しも見えない。
まるでえんえんと深く、どこか知らない場所にまで繋がっているみたいだ。


私はさっそく、お母さんに教わった方法を試すことにした。

樫の木の洞に拾ったどんぐりを供えてから、その葉を一枚、わけてもらう。
どうやっても背が届かないから、落ちていた葉の中からまだ新しい、若い一枚を選んだ。

口にくわえ、泉のもとに戻る。

さらさらと静かに流れている滝に身を乗り出し、その雫を葉に受け取る。
そしてそれを口に含んで飲むと、三回、祈りを捧げた。



お願いします。どうか私を人間にしてください。



お母さんは、願いが強くないと神様は聞いてはくれないんだよと言っていた。
だから私は、歯を食いしばって願いを唱える。



神様、お願いします。どうかどうか、私を人間にしてください。



さとるは一人で泣いていた。
ちょっとだけ待ってて。すぐ私が元気にしてあげるから。
ほんの一瞬だけでいい。さとるを笑顔にしたい。



お願い……私を人間にして!!



せせらぎは絶えず、静かに流れ続けている。



……お願い…………。



泉のたもとを、ざあっと強い風が吹き抜けた。


だけど、私の体は何も変わってはいなかった。

ぴんと伸びたヒゲと、三角のとがった耳。
丸い肉球のある手、長いしっぽ。
水面に映る姿は、どこからどう見ても猫のままだ。



なぁんだ……やっぱり、ダメか…………。



落胆があまりに大きすぎて、私はこの時になってようやく、
自分が本気で人間になりたかったのだと思い知る。
体から力が抜けて、溜息さえうまく吐けない。



おうちに帰ろう……。



しばらくぼんやりとしていた私は、ようやく腰を上げる。

そうだ、なにを欲ばっていたんだろう。
私は猫なのに。
彼の部屋に住まわせてもらえてるだけ、幸せだったはずなのに。

私は泉を背に、振り返ることなくその場を後にした。







一晩かけて来た道を戻り、さとるの部屋に着いたときにはまた、次の日の夜になっていた。


閉められている玄関のドアを、カリカリとひっ掻く。
すると何かにぶつかるような派手な物音を立てながら、中からさとるが顔を出す。



「りん! おまえ……どこいってたんだよ。探したんだぞ……」
ごめんなさい……。
「よかった……。車にひかれたんじゃないかとか……
 また変なやつに捕まったりしたんじゃないかって心配したんだからな」
大丈夫、危ないところは通ってないよ。ほんとにごめんね。
「ああ、でも真っ黒じゃないか。怪我はしてないか?」
平気。でもいっぱい走ったから、汚れちゃった。



彼は弱々しく微笑んで、泣き出しそうな表情で私を抱き上げた。



「おまえまでいなくなったかと思ったんだからな……」
うん……。ひとりにしてごめんね。



私は彼の体に頭をすり寄せる。
ぴんと立てたしっぽを震わせて、数日ぶりに会う彼の匂いを嗅ぐ。

私の耳の後ろを撫でながら、彼は呆れたように笑った。



「それにしてもほんとに汚れてるな。風呂に入れるか」



私を床に下ろした彼は、脱衣所に向かう。
お風呂は嫌だと思ったけれど、確かに体中がほこりっぽい。
このままではきっと、一緒に寝てもらえないだろう。



「うん。わかった」



答えると、お風呂の支度をしていた彼がびっくりした顔でこちらを振り向く。



「え? なんだ……? ……空耳か?」



私を洗うついでに、さとるもそのままシャワーを浴びるつもりらしい。
彼は湯船にお湯をため、トランクス姿で私を抱えて浴室に入る。
いつもだったら叫んで抵抗するところだけど、今日は大人しく洗われよう。

シャワーのお湯が降り注ぐのを目を閉じて我慢していたら、彼の声が聞こえてくる。



「今日は大人しいな、自分でもわかるのか? 汚れてるの」
「うん、わかるよ」
「……え?」



体にシャワーがあたる。
けれどそれが今日はなんだか気持ちよく感じる。
いつもは毛がびちゃびちゃになって重たく肌にひっつくのが、嫌で嫌で仕方がないのに。
今日はそんなに嫌じゃない。



「だってずっと遠くまで行ってきたんだよ。山に行ってたの。だから汚れちゃって――」



ガタン、と彼が勢いよく立ち上がった音がした。



「どうしたの?」



彼の姿を見るために瞼を開けると、心底驚いた顔が映る。



「さとる……?」



どうしてだろう。彼がいつもより小さく感じた。
それでも十分に大きいけれど、視線の位置がいつもとあきらかに違う。

巨大すぎて怖かった浴室も、轟音を響かせる滝みたいなシャワーも、
どうしてかそれほど怖く感じない。

ふと視線を下げると、揃えられた二つの膝と、白くて細い五本の指が見えた。
まるで人間の、女みたいな体。

柔らかそうな胸の膨らみ、毛のないつるつるの肌、薄茶色の長い髪の毛が肩にかかってる。



「え……?」
「さとる」
「え? お、まえ……、どういう……こと? 俺、頭おかしくなったのか?」



人間の年齢でいったら十八歳くらいの私。
浴室の鏡を覗き込むと、ヘーゼルナッツ色の瞳と目が合った。



「…………さっきまでりんだったのに」



呆然としている彼に、私は飛びついた。



「すごい! お願いが叶った!!」
「え……?」
「私ね、神様にお願いしたの! 人間にしてくださいって、さとるを元気にしたいからって!!」
「か、神様?」
「そう! 嬉しいっ!」



私はさとるの体をぎゅっと強く抱き締めた。
彼は何が起きたのか全く分からない様子で、ひたすらおろおろしている。



「あのね、私、さとるにずっとお礼が言いたかったの。助けてくれてありがとう……って。
 けど私、なにも言えなかった。
 彼女がいなくなって悲しんでるさとる見て、なにもできなかった。
 だから神様にお願いしに行ったの。人間にしてくださいって!
 ……そしたら…………っ、うぇ、うぁぁあああんっ、嬉しい……嬉しいよぉ……」



感激で涙が出る。
さとると会話をしている。これできっと、さとるを元気づけられる。



「……どういうことだ? おまえ、ほんとにりんか」
「そうだよ。さっきからここにいるじゃない」
「いや、そうだけど。いや、けどな――」
「さとるはおかしくなってなんかないよ!」
「いや、そうは言ったって……」



さとるは私を見ては視線を逸らし、戸惑った様子でいる。
信じられないのもしかたがない。



「じゃあ、夢を見てると思ってよ。飼い猫が人間になっちゃった、へんな夢。
 ね? さとるが信じられないならそうしようよ」
「夢……?」
「さとる。私ね、ずっとずっとさとるのこと、大好きだったんだよ。
 優しくて、私にたくさんの幸せなものくれた。大好き。だから、元気になって?」
「おまえ……」
「私が、大丈夫だよっていっぱいいっぱい言うから」



ふと彼の表情が和らぐ。
泳がせていた目を私に向けて、視線を合わせる。



「寂しかったよね、彼女がいなくなって。
 さとるは彼女のこと、大好きだったもんね。私は知ってるよ」
「……」
「大丈夫。さとるはすごく優しくて、誰よりも素敵だから。だからあんまり泣かないで?」



眉間にしわを寄せて、さとるは辛そうな顔をする。
きっと、心の中では泣いてる。



「ね?」



首を傾げて、私はさとるの唇をぺろっと舐めた。
驚いた彼を尻目に、頬にキスをして、瞼の上にも口づけた。

私は知識を総動員する。彼女が来ていたとき、さとるとふたりでしていたこと。
人間の交尾。

まどろっこしいんだなと思っていたけど、ちゃんとぜんぶ、意味があったんだ。
彼が愛おしそうに、彼女のいたるところにキスをしていた気持ちが、
いまの私にはよくわかった。

この気持ちがさとるに伝わりますように。
触れたところから、さとるの痛みがどこかに飛んでいきますように。



「っ、おいっ……!」



私の頭を体から剥がそうとする手にもキスをする。



「夢でもダメ? さとる、私のこと気持ち悪い……?」
「……いや……そういうわけじゃ……」



気遣ってくれたのか、彼は返事を濁す。



「だったら、私にさせて? さとるが元気になるお手伝い」
「……っ」



ちゅ、と首筋にキスを落とすと、彼はぴくんと体を震わせた。

人間の体になった私よりもさとるはずっと大きい。
彼女はたまに彼を、クマみたいってからかっていたけれど、
さとるの体はほんとうに逞しくて、無駄なく筋肉で引き締まっている。



「夢、か……」
「うん、これは夢だよ。夜みて朝にはもう醒めてる、夢」



厚い胸板に指を這わせ、唇を押しあてる。
さとるがよく彼女にやってたみたいに、胸の突起に舌を絡める。

漏れた吐息に少しだけ気持ちよさそうなにおいを感じて、
私はたまらなく嬉しい気持ちになった。



「ふ……ぅんっ、嬉しい……」
「……何がだ?」
「ん……さとるに少しでも喜んでもらえるの……すごく嬉しい」
「…………」
「もっともっと気持ち良くなって。寂しいの、私が全部、溶かしてあげるから」



そう言って私は、さとるの足もとに跪く。

トランクスに手をかけ引き下げると、目の前には大きなペニスが現れた。



「あっ、おい――!」



制止には構わず、私はそっとそこに手を触れる。

彼女がしていたやり方を思い出しながら、慎重に指を動かす。
さとるが嬉しそうだった行為。
頭を近づけ、牙の無くなった口を開けてぱくんと口に含む。

きっとここは噛んじゃダメなところ。

目一杯口を開け、歯が当たらないようにして舌を這わせる。
すると、それまで柔らかかったそれが急に膨らみ始める。



「っ! んっ……ぷ?」



さっきとは別物のように硬さを増したものが、口をいっぱいに塞ぐ。

あ、と私はぴんときた。
これが勃つってことだ。発情した牡のしるし。

歓びが胸を埋め尽くして、涙が出そうになる。
さとるが喜んでくれてる。

私はその体積に負けないように、
舌をひっこめたり口を大きく開けたりとあれこれ工夫する。

溢れそうになる唾液を飲まずに、
舌に乗せてこわばり全体に塗りこめると、そこはまた一回り、大きくなったみたいだった。

口の中でもごもごとさせているうちに、だんたん要領がわかってきた。
それに、さとるの気持ちいいにおいが増して、
先端の切れ目からしおからい液が溢れる部分も。



「っぷ、ん……ちゅぅ、は……くぅん、ん……ふ」
「く……りん……」
「ふぅんっ、ん、ふ……ン」



さとるが、私の名前を呼んでくれた。
しかも前後に揺れる頭に手を置いて、耳の後ろを撫でてくれている。

嬉しい。
胸の奥も、お腹の奥も、きゅうきゅうと締めつけられるみたいな歓びを感じる。

あの春の発情期よりもずっと、体中が疼いて熱くて仕方がなかった。
きっと間近に迫るさとるの匂いが、私の頭をおかしくさせてるんだ。



「は、ん……っ、くぷっ……ぷぁっ……は、ァ……、さとる……」
「っ……」



激しくすすると、さとるの先から雫が漏れる。
ねばつくそれを飲むと、喉も脳みそも焼けたように熱くなった。

気がつけば、私の股からは粘液が溢れ、腿を伝って滴っていた。

私は顔を上げ、さとるを見つめる。



「さとる、きて。私の初めてのココ、入れて、もっと気持ち良く……なって」
「っ……く」



私は知識よりも本能に従って、さとるの前にお尻を差し出す。
浴槽のへりに肩を置いて、両手でお尻を割り開くようにする。

さとるにちゃんと、私の全部が見えるように。
きっと今の私のどこよりも、牝の匂いをさせてる場所を。

蜜の感触が指にまとわりつき、時々あそこが震えているのがわかる。
肩越しに見るさとるは、どこか我慢をしているような表情をしていた。



「おねがい……私にできること、全部させて……」



浴室中に、私の発情した匂いがこもってるみたいだった。
濃密な空気の中、さとるは息苦しそうに眉をたわめて、私の腰に触れる。



「はぁ……俺って……最低だな。こんなこと――……」
「……ううん、……私がしたいの。もう我慢できないよ……。
 それ、おっきくて硬くて熱いの……ここに、ちょうだい……っ?」



私のぬかるんだそこに、熱いものが触れる。



「……無理そうだったら言うんだぞ」
「ふぁ、あ、うん、うんっ……だいじょーぶっ、だから……だから……!」



さとるが腰をゆすると、蕩けた蜜口に触れていた先端は、くぷ、と音を立てて中に入った。

気遣ってくれているのかゆっくりとしたスピード。
けれど、すでに入り口は少しの隙間もないくらい塊に広げられている。



「あぅっ! ……おっきぃ……んっあ……あァァ」



濡れそぼった秘裂から、粘ついた蜜が溢れては腿を滴った。
発情しきった私はひりつく痛みさえ、牡を迎え入れる最上の悦びに変える。



「……きつい……な」
「んっ! ンぅっあああ、あっ! さとる……!!」



大好きなさとると、まるでひとつの生き物みたいに繋がってるなんて。

卑猥な音をたてて、私の最奥までさとるが到達する。
私はそれだけで、頭の中を真っ白にはじけ飛ばしていた。

内臓全部を押し上げる凶暴な力。
腰を掴む手は、私の体全部を思いのまま動かせるほど力強い。
強いものに求められていると考えただけで、体の中心が熱く燃えるみたいだった。



「アァっ、あふ、ふぁ、んっんっ、ひゃっあ……ふあっ……!!」



激しく突き上げられて、私は嬌声を上げた。

人間になっても小柄な私の下半身は、
さとるに掴まれているせいで、膝がほとんど宙に浮いている。



「あ、さとるっ……あ、きもちいぃ……っ、きもちいいよぉ!」
「っ……ああ、俺も……」
「ふあ! あああァっあ、うっ、うれしい……っ!!」



首をよじってさとるの顔を見る。
眉間にしわを寄せているけれど、悲しそうな顔じゃない。

気持ちいいと言ってくれた。

嬉しさも快感も、全部いっしょくたになって全身を駆け巡る。

さとるは腰から手を離し、背中越しに私の胸に手を伸ばす。



「……く、おまえももっと気持ち良くなれ」
「えっ? あっア! ひゃあぁんっあ、なにコレ……! ああっ!!」



乳房を揉まれ先端をつねられると、鋭い快感に襲われた。

初めて知る胸への刺激に翻弄されていると、今度はもう片方の手が秘部に潜る。
ペニスが刺さる、膣口の近く。
触られた途端、電流が流れたみたいに体がこわばった。



「ひァ!! ァァァァっ!!」



あまりの刺激に息ができない。
頭も視界も真っ白に吹っ飛ぶ。
蜜口がぎゅうぎゅうと収縮して、ただでさえきつい内壁がさとるを締め上げる。



「っ…………イったのか?」
「ふあぁあっあ……ぁっ……ああ……んっく、ふぁ、あ……」
「人間は気持ち良すぎるとそうなるんだよ」
「ああぁん、よすぎる、と…………? さとるも、こうなる……?」
「ああ。……りん、俺もイっていいか……?」



こんなに気持ちいいことがこの世にあるなんて。
これをさとるにも、あげなきゃいけない。



「うんっ……ふあ、さとるの……熱くてびくびくして……っあ、わたし……まだきもちいい……」
「だろうな、ココ、すごい締め上げてくる」



ごり、と音がしそうなくらい強く抉られて、喘ぎ声が漏れる。



「ぅんっ! あぁっおくに……おくっ、からだ熱くなるっ……!」
「……りん。ありがとうな」
「あっあっ……っ、んぷぁっ、あ、んっ! アぁ……っ」



顔を後ろに向けると、さとるは私の背中を抱き、そして唇にキスをくれた。
舌を絡めながら、私は涙を零れさせる。

全身に響く律動も、この嬉しさも、溢れるほどいっぱいに胸を満たす。



「ぁあ……! あんっ、あ……! さとる……だいすき……! あっんっ、ンンンン!!」



大きな腕が、そのまま私の体をがくがくと揺らした。
抽送はさとると私の波を、どんどんと大きく高くしていく。

知らない内にまた、さっき擦られた場所に指が触れて、
視界はちかちかと火花が散るみたいに瞬いた。



「さとるぅ……! あァァァっ! コレっ……また、さっきと同じ……!!」
「ああ、俺もっ……イくっ……!」



腰がぶつかるスピードが速まり、私の膣壁がさとるを締めつけたとき、
彼のペニスが内側でぐうと膨らんだのがわかった。
本能が私に告げる。欲しがっていたものがもらえるよ、と。



「あぁっ! っ、ちょうだいっ……ふあ、あ! ぁぁああん!」
「ああ、……っだす……ぞ……!」
「っあ、ひぁ! ぁあ――ッ!」



なにかが破裂したかと思った。
なかで弾け散る精液は、全身を貫くような快感を生む。
どくんどくんと跳ねながら迸った粘液は、やがて私のものと混じって床に滴った。

焦点の定まらない視界に、ぼんやりとさとるの顔が映る。



ああ、よかった……少し、笑ってくれてる……。



微笑み返したところで、私は意識の綱を手放した。







チチチチ……と、雀が鳴く声で目が覚めた。

この声はこのあいだの春、このアパートの軒先から巣立った雀の声だ。

私は毎朝、窓越しに、あの雀を眺めては手出しできないもどかしさを味わっている。
悪戯っ子の雀は、私の手が届かないのを承知で窓の前の電線に止まりにくる。


いつもなら何をおいてでも窓際に走っていくのに、
今日は何だか動きたくない。
体中が痛いし、重い。

そう思いながら寝返りを打ったところで、腕がなにかにぶつかった。



「いてっ」



あ、さとるにあたったんだ。
ごめん。そんなに近くにいるとは思わなかった……。

そこまで考えて、私は飛び起きた。
彼にぶつけたのが私の腕で、それが人間の形をしていることに驚く。



「えっ!? ……えっ!!」



めくれた羽毛の布団から現れた私の体は夕べのまま、まだ人間の形をしていた。

私はだぼだぼの大きなTシャツを着ていて、
見覚えのある柄でそれがさとるのものだとわかる。

襟口を広げて胸元を覗き込み、本当に人間のままだ……と思っていると、
起き上ったさとるはぽりぽりと頭を掻いた。



「昨夜のあれ……夢じゃないみたいなんだけど」
「え……?」
「寝ても醒めても、変わらないみたいだなぁ……」
「……うん! 私、猫に戻ってない!」
「そうみたいだなぁ……」



さとるは参ったと言わんばかりの様子で、困ったような顔をした。
けれど真っ直ぐ私を見たまま、目を逸らさずに少し笑顔を浮かべる。



「さとる……なんだかちょっと、元気になったみたい」



私はただそれが嬉しくて、さとるの顔を覗き込む。



「驚いて、それどころじゃなくなったというか……」
「私……少しは役に立てたかな」
「……ああ。それは間違いない。りんのお陰だ、ありがとな」



そう言って私の頭を撫でて、さとるは語りかけてくる。



「信じられない気持ちはある……。
 けどなぁ、夢見心地というか、気分は悪くない。それにさっき証拠も見つけたしな」
「証拠?」
「ココ」



そう言ってさとるはシャツの裾をまくり上げ、私のお腹に指を這わす。
つられてそこに目をやると、おへその上あたりに、縦に走る引き攣れた傷痕があった。



「……あ。これ、さとるに助けられた時の」
「そうなんだろうな、たぶん」
「たぶんじゃなくて、そうだよ。あの時さとるが助けてくれたから私まだここにいるの。
 だから私、さとるにたくさんたくさん恩返ししたいの」



そう言ってぎゅううと抱きつくと、さとるは一瞬、ためらったあと、
いつもと同じように、膝の上にすっぽりと抱きかかえてくれた。

背中から、さとるの温かい体温がじわりと伝わってくる。



――神様……、ありがとう。



目を閉じて心からの感謝を呟いていると、低く優しい囁きが降ってくる。



「りん。二人で一緒にいるか。この夢が、醒めるまで」
「……もし醒めなかったら?」
「その時は――ずっとだな」



温かさに涙が出そうだった。
この言葉を、私は一生忘れない。

私は胸に刻まれた言葉を抱きしめながら、さとるの頬に顔を擦り寄せた。



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